おはようございます。本日(2023年10月13日)、私は沖縄に越してきて、10周年を迎えました。しかし昨日の私は、大ドジをしでかしました。日米合同訓練反対の集会が沖縄市で開かれるので行ったのですが、誰も居なかった。愕然としてしまいました。要するに私が思い違いをしており、場所も時間も違っていた。要確認してこれですから、何をか況んや。勘違いを確認したら、間違いの上塗りであり、昨夜はふて寝。ただ、思い悩まないことだと思っています。場所に対する認識がまだまだ弱い事は事実。知らないことも多い。思い込みを排して頑張ります。
記憶というものは、丸暗記だと忘れたらどうしようもない。よって関連事項を考えながら、頭に入れる。こうしておくと一つのことを忘れても、あれかと浮上してくる。こちらにきて進歩したこともあります。例えば、どこからどこへの交通費はいくらかなど、一度乗れば記憶しています。先日の旅先でも、途中で鉛筆がなくなり、記載できなかったのですが、帰宅後、全部思い出し書けました(2日分ですが)。鉛筆も出てきました。
日常の生活を日々きっちりやることは、重要です。先日のように寝込んだときなど、この結果がモロにでます。おぼろげな記憶の中で、最低限やれないと一人で自宅療養はできない。何は何処にあるのか、どのぐらいあるのかなど、確認できていないと、買い物をお願いするにもできない。
10年経って、沖縄を巡る(つまり日本を巡る)政治状況は確実に悪化してます。戦争が目の前に浮き上がってきたようです。沖縄を戦場にするなという叫びは、沖縄でもまだまだ小さい。日本に於いては、日本を戦場にするなの声は、極少数派です。自分たちの足下が見えていないからです。この地球では皆、足下を大地に接しています。病人も背中などをベッドに接している。この感覚。もっとも足下や背中が政治を知るわけではありません。ここに生きているという確たる感覚がなければ、私たちが政治を考える事は不可能です。
やはり物事には、関心が第一なのでしょう。関心がなければ見落としていく。野鳥がそこにいることや、そこに花が咲いていること、沖縄民謡が流れてきていること、潮騒が聞こえていること。先日、名護の自宅で寝こんでいたら、ジェット戦闘機の音が飛び込んできた。ここいらは飛行場に近くないし、訓練空域でもないですが、時々あること。ドカンときたとき何だろうと思わないと、いつのまにか忘れてしまう。関心があれば、何が何故やっているのかが見えてくる。こうした小さな蓄積が大切なのだと、この10年学習してきました。
この国は、「辺野古が唯一」を繰り返しています。知事の変更不承認処分を最高裁が門前払いにして、国の大浦湾側の埋め立て工事が再開されようとしている。知事が承認しなければ、国が代執行するというのだ。自治の全否定がまかり通ろうとしている。
「辺野古が唯一」というのは異常だ。沖縄限定は明らかに差別だろう。この問題は、根深い。沖縄に安保条約に基づく米軍基地を集中させることは、単なるパーセンテージの問題ではない。この物理量・容量の差は確かに大きな問題だが、それだけではない。米国が沖縄を占領し、そこから戦後日本国は、それを歓迎して始まったのだ。こうした歴史と政治の問題が日本国・日本人に全身にこびりついている。無自覚で無関心だから余計にそうだ。米国による占領・従属がいまだに生きていることに気づかない日本国民が大半だ。踏まれていると感じず、自らが踏んでいる日本国民。被害者が加害者になっている。
被爆の問題もそうだ。ヒロシマ・ナガサキは明らかに被害者にさせられた。その意味を問い返す間もなく、原爆のことはオフリミットにされていた1945年から52年の米国統治下にあった7年間。原爆使用は、無差別殺人であり、国際法上許されないことだ。しかし日本軍も無差別殺人を繰り返してきたのだ。同じ穴の狢だ。両国政府は相互に押し黙る。これを突き破るためには、人民・市民が被害も加害も問うことなしに、不可能だ。
今、米日政府は核の「拡大抑止」を唱えている。いつ核兵器がつかわれてしまうのか、分からない時代に舞い戻ってきたのだ。使えない兵器の恫喝力はデカイ! 沖縄は、今、米日の対中戦争の最前線に位置しているだけに、怖いことだ。核戦争になれば世界は破滅するだろう。人類は破滅する。米国は狡猾だから、そうはしたくないのだ。「俺(米国)の利益」をあくまでも追求し、世界を独り占めしたいのだ。アンモラルが過ぎる。
日本政府はこれにお気に召すままだ。日本が滅びても、おかまいなしだ。そんな「国益」ってなんだよ?! 「安保3文書」をみても日本の国益を抽象的にしか描いていない。彼らが描く「国益」は、「米国の利益を追求する」ことだから、恥ずかしすぎて書けないのだ。
時代は混沌としており、先は見えないが、私たちはこうした深い霧を晴らすことはできる。自然界の濃霧ならば、晴れるのを待つしかないが、こちらは違う。待っていたら、益々深みにはまっていく。
この土壇場での生き方が私たちに問われている。「勝つ方法は諦めないこと」は至言だが、その先を照らし出す作業が必要だ。これからも私は、私なりに頑張りたい。どうぞ宜しくお願いいたします。