おはようございます。静かな朝を迎えました。2023年12月31日(日)晴れ
29日に長い原稿を書き上げ、頭ぐったり。気分転換しつつ、29/30日で正月の旅のスケジュールを考え、これで連れの基本了解を得た。私にも色々こだわりがあり、「こういうところには行きたくない」があるから、一般のガイドブックは役に立たない。美術館に行くことにした。丁度3日から開館。メインは写真展だ。戦前に活躍された方らしい。刺激的(色物ではございません)な写真を撮っておられたようだ。これからスケジュールをきちっと立てる。資料はほぼプリントアウトしてある。
大昔こういうことがあった。中学3年の夏(1966年)。クラスメート3名で磐梯山にでかけた。表山道から登ったのだが、ここはスキー場。木陰がなかった。無茶暑くて、一名が歩けないと。仕方なく、一旦、山麓に戻り、彼を置いて(その彼の故郷が磐梯山山麓)登り直した。もっと暑かった。それでも無事に登りつき、山小屋に泊まった。翌日は裏磐梯に下りた。当時の磐梯山はゴミだらけだったことを思い出す。
教訓:いくら仲良しでも、体力と登る気力がそろわなければ、かなわないということだ。自分以外の人を連れて行くときは、計画により慎重になった。職場に入って、何度か職場有志で山歩きを主宰したことがある。この時の体験が良かったと、後年、彼らが定年退職した時に話してくれた。彼らの頭に記憶が残っていてくれたのだ。友というよりも、上司だった人たちからお褒めの言葉。
ともかく、いい意味で気を遣うことは重要だ。だが、普段知っている人ならば、ある程度わかる。1973年に北アルプス立山にライチョウを見る探鳥会を引率した。日本野鳥の会東京支部主催。企画・引率・指導を私。あいにく私は、その1週間前に後立山で転倒し、右手に罅を入れる事故。包帯をまいたままの引率をだったが、無事に終えた。高山を歩き、ライチョウを見るという共通の関心が揃っていたから、できたこと。その後も沢山の失敗をしているが、この時は10名余りのメンバーシップが上手く機能した。
まぁ、そんなわけでプランニングと。今夕は残照を撮りに出る。初日の出は諦めた。万が一飛行機に乗り遅れたら、大変だから。
2024年は益々厳しくなるだろう。しかし私は確信している。戦争への道をとめなければ、私たちに明日はないと。「他人任せ」から脱する道を捜し求めたい。他人任せではダメだと、皆が考え直さなければ始まらない。敵は巨大だし、大組織をもっている。金がある。しかし「孤軍奮闘」(周囲に気を遣いながら)することで、私たちが変わり、変えることができる。
「心配するな」とは言えない。自分自身心配なのだから。思考停止しながら裏金を作り、稼いできた自民党(各派閥)。彼らにとって票を稼ぐことが実益に通じている。金のための政治に、人々への関心はない。ただ票集めのための政治擬き。ここまでみえてきたのではないか。金に買収されない価値観を、生き方をとなる。貧しい暮らしの中で、金に振り回されたら、地獄を見るのは私たち庶民だ。個人の経済(収支)と国家の経済は違う。昔、吉本隆明が「共同幻想論」を書いていたが、幻想に惑わされてはいかん。共同幻想以前の話しだ。