今晩わ。2024年7月26日(金)曇時々雨。
今日は、朝から写真展の準備に没頭していた。コマ選びの途上にあり。第1章は、ほぼ決めた。第2章は半ば決めた。第3章は予備選考中。第4章はこれから。本日中に第3章の大半まで決めたい。章立て、小見出しもほぼ固まった。だいぶ変更しました。やはりコマを絞り込むのに難儀しています。章立ての連関を考えながら、入れ替えたり、落としたり。詳細を後日公表します。
ところで台風3号の影響下にまだ沖縄島北部は置かれています。先ほど買い物に出たら、雨が降り出し、風も強まり、途中で吹き飛ばされそうになった。傘を畳んで、風雨が弱まるのを待ちました。ずぶ濡れになるほどではなかったが、油断できない。てなわけで、進路を確認したところ、中国大陸に入っているのに、これほどの影響を受けるのだ。大型の台風であることはまちがいない。
名護湾にも避難している船舶が複数見受けられる。皆さんお気をつけて。
そういえば、東海汽船の高速船が航行不能になったとかで、海上保安庁等の助けをえて、伊豆大島まで24時間かかったとか。高速船は機体が軽いから、エンジンが止り、ゆらゆらしたら、乗り心地最低だろう。停まったら、波に揺られるだけだから。
そしてもうひつのそういえば。松川政則宜野湾市長が東京出張中に、亡くなったと。お悔やみ申し上げる。今回の東京行きは、政府への要請行動だったらしい。一日も早く移設してと。辺野古移設推進派の市長だ。突然のことなので、関係者らは、大変だろう。来月か再来月に市長選となる。辺野古移設のワナを暴露できる候補の立候補を期待している。このままでは普天間基地の返還はありえないです。そもそも辺野古では滑走路が短いので、嘉手納飛行場の代替機能をそもそも満たしていない。だとすると、いざ(有事)というときは那覇飛行場を使うことを条件にしている。その上、軟弱地盤が広がっており、沈下は避けられず。
この国の政府は、その一番肝心な点を黙殺しながら、移設を進めてきたのだ。無責任であり、沖縄の期待を利用して、翻弄してきたのだ。嘘つき政府には、ご退場願うしかない。こうした微妙な肝心な問題に切り込める候補の出番だろう。
7月20日にお空の上から見た辺野古・大浦湾は悲しかった。もしも、このままここに強行されたら、滑走路と演習場と弾薬庫と搭弾場が、ドッグ型揚陸艦等の岸壁も一体になり、森と海を貫いた演習が日々行なわれることになる。危険性は、確実に普天間周辺を上回ることになるだろう。
日本政府が本気で、「沖縄の負担軽減」を考えていれば、これほど長きに亘って、苦しめられることはなかったはずだ。方便だけの「負担軽減」を沖縄が許容していては、ならないのだ。沖縄の未来は基地撤去と共にあるだろう。米国の尻馬に乗って、バカ騒ぎするありかたをいい加減に脱したいものだ。
何処の市民も、歪んだ視野を改めて、冷徹に新たな展望を切開いていこう。このままいったら、マジで沖縄は軍事衝突の最前線に追い込まれていく。軍事衝突を回避する頭を育むしかないだろう。軍事エネルギーへの傾斜は、米国も中国もどっちにしろアウトだ。華々しく死ぬなど、ありえないことだ。冷静に頭を動かそう。