ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け34年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

朝のぼやきから、目覚めるために(20231101)

2023年11月01日 | 考え直すために

 おはようございます。今日から11月です。今年もあと2ヶ月。光陰矢の如しと言いますが速い。

 光と矢では速度のレベルが違いすぎますが、「光陰」とは、日と月のことだそうです。月日が経つのは早いということであって、光と矢ではない。その言葉が生まれた時代を考えるべし。ものごとには、このぐらいの大きな差があって、時空を貫いてみたら、大間違いする悪いお手本でした。失礼しました。

 ともかく、昨日玉城デニー沖縄県知事が、国が県を訴えた裁判で、県民自治を基礎に、これこそが「公益」だと論述しました。立派・立派。この国は「国益」を極一般論でしか語れず、米日「安保が唯一」を語るばかりです。昔は大日本帝国=天皇が唯一の国でしたが、頭に乗せる物(冠)が替わっただけ。発想は替わらない。時代錯誤も甚だしい。愚劣の極みです。

 私は生きる。これは個人の利益ですが、人権とはそこです。人間は個人と「公」が分裂しています。これは必然です。めんどうくさいことですが、人類に産まれた以上避けられない。人間は類と個が分裂し、類であるかのように国が立ち回ってきました。公の道徳まで語られてきた。絶対的な矛盾がここにあるのです。

 こうしたことを私が考えるのは、生物学的な知見を元に考えているからです。まぁ、生物学+哲学か。だから政治を変えることは可能だと考えなければ、絶望しかうまれません。「好きにやれば」と、遊びほうける道もあった。

 しかしこの矛盾に気がついたのは、遙か昔のこと。1964年東京オリンピックを前に、急速な近代化・都市化の進行を目の当たりにし、わなわなと震えていました。まだ私が小学生の頃の話しです。自然を喪うことによって、人間は滅びるのだと直感していました。あれから60年が経ち、そのど真ん中にあるのが今日でしょう。

 自然破壊から反戦も必然です。戦争は都市を壊す。東京・那覇・広島・長崎。世界のあちこちで現在進行形です。しかし都市を壊すのは何故か。我(国家の)が意(支配欲)を満たすため。儲けるためです。他国民を殺しまくることが「国益」だとする「計算」。凄い傲慢ぶり。

 そうした破壊行為は自然破壊そのものです。油を、大地を、森も海も、資源にし、戦場にし、破壊の限りを尽くす。視野狭窄に陥った支配者どもは「勝つ」ことにしか興味を示さない。

 こうした現状から抜け出す道はないものかと、私なりに考え続けてきましたが、ない。愚にもつかないことばかり。否、だからこそ、愚直にやるしかない。人間は微力ではあるが、無力ではないと考える意義が、ここにあるのです。

 ところで、10月27日の辺野古の報告、我ながら上出来にできました。全く偶然でしたが、初めからストーリーを描いていた如し。人を案内しているときでしたから、自分は写さないはずですが、思わず、ちまちま撮った物を有効にまとめることができた。また29日の瀬嵩も自己満足的な絶賛レベル。ナガサキアゲハです。

 しかし、こんなちまちまやっていては、勝利の展望をたぐり寄せることはできない。そう思い、この1ヶ月、RD(レゾリュート・ドラゴン)を主題にし、那覇軍港、嘉手納基地、石垣島に行ってきました。このRD(10月14日から31日)の17日~体調不良に陥り、現場に足を運べなかった。無念です。一方で助っ人が現れて、自分が現場にいないのに、まとめることができました(近日発表予定)。感謝しています。お互いに協力し合える関係を作る意義は大きいようです。

 11月も10日~20日、米日共同・統合演習です。しかしこの10日から12日、私は東京へ。父の13回忌です。仕方ない。可能ならば1週間居座って、高校時代のクラス会に出ようかと思っていましたが、この統合演習の日程を知り.おじゃんに。

 ぼやきだしたら切りがないのでやめます。平和も抽象的なことではない。生きるためのウルトラ具象的なことの積み重なり。頑張りましょう。



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