おはようございます。朝起きたら「#逃げるな自民党#LGBT差別抗議デモ24時間シットイン」なる記事(note)がでていた。本日(5月30日)18:00から明日20:00頃まで、自民党本部前での行動らしい。
今国会でLGBT法案が与野党間で調整されてきたようだが、自民党内の極右派が巻き返しを図り、成立の気運をぶっ壊したようだ。
日本という国は、「伝統」的に人道的でないが、またぞろだ。「種の保存」に反するという議員がいるようだ。これは生物学的な知見に基づくか否かなどは、およそ関係ない。歴史的にこうした言辞がまことしやかに語られる時代は、怪しい。ナチスの時代が、天皇制ファシズムの時代がこのことを雄弁に物語ってきた。
彼らが言う「種の保存」の背後に、国家のご都合がある。産めよ増やせよの時代があった。優生思想があった。国家への「愛」(とみせかけた、自己を国家に託す、自己犠牲)があった。この「不純物」を除去しようとする思想が戦後76年の時を隔てて表にでてきたのだ。
ところで、この文脈で「種の保存」という人々は、原発推進派だろう。核兵器禁止条約に反対で、米日核安保体制にも賛成だろう。人類の生存に100%関心がないくせに、イデオロギッシュに叫ぶ輩ではないのか。自然生態系を守ることにも関心がない。こうした時代錯誤な国家主義を私は根本から革めたいと考える。そうでなければ、私は人類は生き延びていけなくなるだろうと考えている。
多様性を尊重しあうことは、本能の軛から外れた人類に与えられた課題であり、これは右派・左派などのイデオロギーの問題ではない。敢えて言えば、人類の歩みの中で、個々人が自覚してきた課題だろう。唯強いものが勝つとすれば、とっくに人類は滅んでいただろう。
人として生きるー不十分ながら人間の英知があったればこそ、ここまで生きてきたのだろう。
そう考えるとこの問題は、LGBTに係わる人以外の問題でもあるだろう。ひとり一人が、私を生きているのであって、お偉いさんなど第3者に、否定をつきつけられる問題ではない。誰に対しても否定を突きつける問題ではない。
自民党前での行動を呼びかけているnoteから以下、転載
「私たちはあきらめない。
逃げるな自民党。
LGBT差別をやめろ。
命を守る法律を。」
私も連帯の意思を皆様に表明します。