おはようございます。今日(2022年12月3日)も曇。
昨日の、国会・参議院予算委員会で福島瑞穂が思いきり突っ込んだ質問をしていた(拍手!)。杉田水脈総務政務官の一連の差別発言の謝罪・撤回と辞任要求、敵基地攻撃能力への見解を求めていた。
どうも杉田は、差別発言を撤回したらしい。あれほどの確信に満ちた差別発言を政務官になったから撤回できる言葉の軽さに、私は呆れかえる。また、にもかかわらず政務官に任命した岸田首相の軽さ。政治をなんと心得ているのか。
差別には2種類あって、無意識のようにすり込まれていてしてしまうもの、確信犯として差別するものの2種類だ。杉田の場合は、後者だろうが、無論、前者を、後者にうち固めてきたのだろう。「LGBTは非生産的だ」「(性犯罪に対して)女性は嘘をつく」などなど。ここまで言う人はなかなかいないだろう。よほど確信していない限り、躊躇して言えることではない。子どもを産めない=非生産的だと、貶める発言。しかしね、子どもを産めない、産みたくない社会になっていることを知ろうとすることが先決だ。これこそが政治家の根本的な視点だろう。そして生産的か否かで人を見る人間観。差別丸出しだ。まぁ、資本主義の王道かもしれんが、この道が戦争や環境破壊をもたらしてきたことも事実。杉田は人権という概念とは無縁のようだ。否、私(杉田水脈)が「女王様」だから下々のことを「私が裁定する」という発想なのだろう。
こうした本音を脇に置いて、政治ができる現代の保守政治を、私は危惧している。言葉とは裏腹のことがまかりとおる現代。言葉が軽い。否、言葉ではない、別の裏政治で事が進む現代。その典型が敵基地攻撃能力と専守防衛の絶対矛盾。言葉だけ「専守防衛を守ります」だなんてことが通じるのは、あなたの頭の中だけですよ。
私たちがとりかえすべきことは、言葉を私たちが生きているこの社会の中に据え直すこと。政治は「特定の人たちの世界」だけで動いているのではない。万人に関わってくる。言葉の軽さは、個人の脳内の思考が社会や政治から離れているから、増す増す軽くなる。これもデジタル社会が呼び寄せた発想だろう。便利さがもたらす危険。
私も、言葉を私たちが生きているこの社会の中に据え直す努力を重ねていこう。