ヤマヒデの沖縄便りⅣ 歩き続けて 歩き続ける 再び

「基地の島」沖縄を歩き続け35年、気ままに綴ります。自然観察大好き。琉球諸島を戦場に据える「島嶼防衛」は愚の骨頂。
 

半旗巡り➁ー沖縄県護国神社(20220927-➁) 

2022年09月29日 | 忘れてはいけないこと

2022年9月27日(火)晴れ ➁

私が那覇空港の次に向かったのは、奥武山(おうのやま)公園だ。那覇軍港を見る前に、公園内にある護国神社を見に行った。

南側から回ると見えた。半旗らしい半旗だ。12:25

ぐるっと回る。

沖縄県護国神社入り口に立つ。12:55

1936年、招魂社として創建され、日中戦争下の1939年に護国神社に改称。靖国神社ー護国神社の系列。「戦没者を護国の英霊として祀り、天皇の参拝という『殊遇』をあたえることによって、戦争のたびに、国民の間に天皇崇拝と軍国主義を普及させるうえで、絶大な役割を果たした」(「国家神道」村上重良著 岩波書店 1970年刊)とされる神社です。

階段を上がると左に鎮座している碑。12:56

「人命」とか言われても、お国のために命を捧げれば、神にしますという宗教だ。人命は軽んじられるのじゃないの?!

少女と鳩の像。慰霊顕彰と恒久平和は矛盾しているでしょうに。12:57

「恒久平和」の碑文に「広げよう平和の輪、伝えよう沖縄の心」とあり、「21世紀に向けて、私たちは世界の人々と手を携えて、恒久平和の確立に邁進することを固く誓うものである」(平成7年ー1995年ー9月7日)沖縄県遺族連合会と刻印されている。沖縄らしさもにじみ出ているが、沖縄戦の本質を見失っている。国家・天皇、軍隊が沖縄の住民をスパイだとなぶり殺し、あるいは「もはやこれまで」と、集団自決を強要していったのだ。家族が家族を殺させた力が働いたのは、何故か? そこを剔抉しない『恒久平和』はありえない。「尊い生命」は、ありえない。

一方で、こうした矛盾の中に生きてきた遺族たちの思いを無視することもできない。こうした沖縄にさせてしまった「日本国」民として、私は考え続けるしかないだろう。現実に戦争が迫ってきているのだから、なお一層のこととして。 

鳩を仰ぐ少女。これだけ見たら美しいのだが。12:58

奥にこれがある。戦争で傷ついた夫に寄り添う妻。夫唱婦随と言う奴だ。ジェンダーフリーとは真逆の世界。12:59

妻は夫が回復したら、また「行ってらっしゃい」と戦場に送り出したのだ。国家って、国家神道とは、せこいのだ。

半旗を掲げる護国神社。13:02

戦争への道を切り開いた安倍晋三の国葬を賛美する。「恒久平和」を潰したかったのが安倍晋三だろう。

私たちは冷静な判断が求められている。

13:02

神社コン。はぁ。軍神で婚活するのか。だがそういう人は確実にいる。それが現代だ。13:04

最後に案内図とは、失礼しました。13:04

私も沖縄における護国神社の位置(と遺族会)を学びたい。この国が沖縄の民衆を巻き込み、殺していったのだ。同じ道を繰り返させてはならない。

 

 

 



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