みなさん、こんにちは。
つどい業務責任者の新福(しんぷく)です。
「つどいブログ」は「八尾市の魅力ある市民活動情報を発信」と銘打っていますが、しかし今回だけは、
私たち市民活動団体にとって大きな影響を及ぼす可能性があるため、お伝えをさせていただきます。
タイトルの通り、FMちゃおが来年3月末で閉局することが、9月21日に「やおコミュニティ放送株式会社」の
ホームページにて正式発表されました。
すでに、8月に毎日放送でのテレビのニュースや、関係者がFacebook等での記事で投稿をされていますが、
まだまだ、ご存じでない方もいますので、ここでもお知らせさせていただきます。
FMちゃおさんは、市民活動団体も含め行事開催時の取材、ラジオ番組への出演、市民活動団体にとっては
FMちゃおでの番組に参画している団体もおられます。
また、イベント開催時には、音響機器の対応で助けていただいたり、司会等の派遣でも助けていただいておりました。
FMちゃおさんは、とても馴染みがあり、長いつながりがある中、閉局になると、これらのつながりやご支援が
なくなる意味でも影響が大きい可能性があるとお伝えをさせていただきました。
インターネット【FMちゃお「やおコミュニティ放送株式会社」】
トップページの「たいせつなお知らせ」から下記のお知らせをご覧くださいませ。
閉局を決定した経緯として、上記の文面から引用します。
・多メディア時代の到来でSNSなど情報発信手段が多様化し、コミュニティFM自体が
数多くある情報発信ツールの1つとなったこと。阪神・淡路大震災を受けて開局された
当初の目的や役割が希薄になり、その存在価値が問われる時代を迎えていることが挙げられています。
・民間主導の自立経営をすべく挑んで来られましたが、企業経営の根幹である、将来を担う人材群の構築
ができなかったことを第一に挙げられています。
・第二に開局以来25年という歳月による放送機材の老朽化が迫っていることから、経営環境の悪化が予測され、
今後、5年、10年を見据えた持続可能な体制づくりへの可能性を見出すまでには至らぬかったことを挙げています。
阪神淡路大震災を機に産声があがったNPO(市民活動)とFMコミュニティ局
1995(平成7)年1月17日に阪神淡路大震災が発生しました。
当時は関西は地震が少ないと言われていたことを、当時中学生だった私(新福)も覚えています。
倒壊するはずのないと信じていた高速道路やビル等が倒壊し、当時は観測史上初めて震度7を観測しました。
私は被災体験はありません。
中学2年生でしたが、当時は地震発生直後は、京都が震度5、大阪が震度4とテレビのニュース速報で報じられましたが、
神戸の震度について報じられなかったことが記憶に残っています。
多くの方々が亡くなられ、震災直後には火災が発生し、神戸の街が火の海になりました。
自衛隊がヘリコプターで消火のために放水するも、火が消えないのをテレビで見ていました。
宝塚・芦屋・西宮・尼崎といった阪神間・淡路島は大きな被害に遭いました。
大阪でも豊中や吹田でも被害が大きかったことを後々知りました。
NPO(市民活動)の法人格へ向けた制度化
被災地では、国・県や市町村行政も懸命に救命活動は復興に取組まれていましたが、
その中で地域のご近所による共助や市民ボランティアによる助け合いが行われて、
市民のボランティア活動が注目されました。
のちの1998(平成10)年12月に市民活動で法人格を取得できるようNPO法が施行されました。
参考:インターネット内閣府「特定非営利活動促進法(NPO法)の経緯」
コミュニティFM局の開局
1992年に制度化されたコミュニティFM局(コミュニティ放送)の特徴は、①地域密着性、②防災・災害放送、③市民参加の3つであり、
また、この3つがコミュニティFM局の存在意義と言われています。
1995(平成7)年に規制緩和の1つとして送信電力が1Wから 10Wに増力されたことや第3セクターへの市町村の出資比率の制限も解かれたこと、
さらには、同年に起こった阪神・淡路大震災で世間的認知を受けた直後ということも相まって、開局のラッシュを迎えました。
FMちゃお(やおコミュニティ放送株式会社)の開局もNPO法が施行された1998(平成10)年の出来事でした。
(当時は八尾市制50周年という節目もあり開局されています。)
また、コミュニティFM局は、阪神淡路大震災などを契機に、もともと防災など公的な役割を担わせてきた経緯から、
自治体が資本出資を行う第3セクター型から始まったのが特徴でした。1990 年代は、第3セクターによる設立は、
当時としては代表的な事業手法でした。
FMちゃお(やおコミュニティ放送株式会社)も株式会社として第3セクターで設立されたと思われます。
当時はNHK以外の非営利団体が放送局を立ち上げることがなかったようです。
NPO法の成立以後、NPOが受け持つ社会的な役割が考慮されたのか、2003年にはじめて非営利の放送事業所
(京都三条ラジオカフェ)が誕生しています。
参考・出典:インターネット「日本におけるコミュニティFMの構造と市民化モデル」浅田 繁夫(2008年)
(発行:大阪市立大学創造都市研究会 掲載物:創造都市研究 e. 3 巻 1 号, p.1-16.)
注目された市民活動と産声を上げたFMコミュニティ局は兄弟・親戚のような関係だった
阪神淡路大震災を機に、市民活動が注目され、NPO法人化の制定、市町村によっては、市民活動センターの開設につながります。
また、FMコミュニティ局が市町村によっては、立ち上がって来ました。
この経過を後々に知った時に、市民活動とFM局は、兄弟・親戚のような関係だったことに気付かされます。
しかし、あまりにも気付くのが遅かったことが、今回、反省すべきことでした。
八尾の場合は、「つどい」という市民活動センターの開設とFMちゃおの開設がそれにあたります。
八尾市は、市民活動センターもFM局もどちらも揃っている意味では当時の施策として環境整備は整えてくれたのだと思います。
両方揃っている市町村は、そんなにないのではないでしょうか。
交流、連携はありましたが、もっと多様で深い協働も出来たのかもしれませんでした。
申し訳ない気持ちです。後の祭りです。
人財と事業を残すこと
FMちゃおさんは、閉局のお知らせの中で、将来の人材群が構築できなかったと記載されています。
人財と事業を残す意味では、「つどい」は若年層スタッフがフルタイムスタッフとして勤めています。
「FMちゃお」さんは、「つどい」よりもアクティブに様々な活動を展開されております。
「つどい」は私が12年前に業務責任者になり、大きく人事を変え、若返りを図りました。
当時のアルバイトスタッフは1人だけ残り、それ以外は全員退職されました。一からやり直しました。
そして、また令和になってからは、「世代交代」と「人づくり・人育て」を謳い、注力しました。
その時に若年層スタッフがフルタイムスタッフとして携わってもらい、現在に至っています。
人財面の強化とマネジメントの強化とPDCAの導入に合わせ、「つどい」の活動(支援・コーディネート)は
以前よりも控えめになりました。この点においては、私が掲げたことは評価が分かれる方もいるかもしれません。
しかし、人財は何とか構築し、首の皮一枚でつながっています。
FMちゃおさんの事業規模と比べると「つどい」事業規模は5分の1以下です。
それでも人財が定着したことは、私の力ではなく、見えない御力と皆様のお蔭様としか思えません。
引き続き、中間支援を主で行う人財と事業を残すことに注力させていただきます。
FMちゃおは、残り半年弱、放送は続きます。
引き続き、応援いただきながら、これまでの活動に、使命に燃えて取り組まれて来られたことに敬意を示させていただきます。
また、たくさんの苦しみや試練・苦難もあったかと思います。25年間走り回り、耐え抜かれたお姿に重ねて敬意を示させていただきます。
とっても寂しいですが、支えること、助けることが出来なかったこと、本当に申し訳ございませんでした。
そしてこれまで、本当にお世話になりました。本当にありがとうございました。これからもよろしくお願い申し上げます。