みなさん、こんにちは。つどい業務責任者の新福です。
この記事を作成したのは1月の始め、そして取材に行ったのは昨年11月下旬。
このシリーズの記事は、すでに2つ投稿をしていたのですが、最後の投稿を作成途中で、そのままになっておりました。
「忘れていたシリーズ」としてお届けいたします。ごめんなさいm(_ _)m
さて、さて、和ろうそくのお話の続きの続き、第3弾です。
▼過去の投稿記事は、こちらをどうぞ▼
「和ろうそくは、つなぐ」お話会【その1】
「和ろうそくは、つなぐ」お話会 【その2】
振返り
和ろうそくは、「蝋」と芯の軸である「和紙」と「灯芯(とうしん)」と「真綿」で出来ています。
前回は、和紙から和ろうそくの芯になる途中経過までをお届け致しました。
そうなんです。まだ、道のりは続くのであります ('◇')ゞ
今回は、和紙が芯の軸になるのですが、芯の軸を巻く「灯芯草」のお話から行きます~。
ほんま、長~い旅ですなぁ(#^.^#)
芯の軸に巻きつける灯芯とその行方
タイトルは、上の画像のタイトルをそのまま活用しました。
奈良県安堵町で「い草」の原種である「灯芯草(とうしんそう)」を和ろうそくの芯に巻き付けるのに使います。
灯芯草は擦れると中の白い芯(髄:ずい)が出てきます。結構、芯は切れやすいですよ。
この白い芯である髄を和ろうそくの和紙の芯に巻き付けるんですね(*^_^*)
擦れて切れにくく品種改良をしたのが、現在の「い草」と言われています。畳で見かけますよね。
奈良県安堵町では、戦前までは「い草農家」さんがいらっしゃいましたが、戦後に米農家に転向され、
灯芯草の芯を出す作業が出来る方は、地元のボランティアの保存会さんが行っておられるそうです。
ここで、市民活動団体が携わっているのが見えて来ましたね\(~o~)/
どこに行ったの?市民活動?と記事を読んでいた方は、すみません💦
取材時には、保存会にご所属の90才のおばあちゃんが、灯芯草の髄を擦いていました。
子どもの頃は、この光景を見ていたそうです。
奈良県安堵町では、現在は和ろうそくでも活用されていますが、元々は奈良県奈良市の墨を製造するところで灯芯(髄)を持って行ったそうです。
「和ろうそくは、つなぐ」お話会でお話をされた大西暢夫さんは、そこも追いかけました。
奈良県奈良市の「古梅園(こばいえん)」さんで墨の製造に灯芯が使われています。
灯芯を菜種油に浸し、それを火で灯す際に出る煤(すす)を集めて、練ることで墨が出来上がります。
この墨の種類は油煙墨(ゆえんぼく)と言います。
墨の業界では有名な所らしいですね。先日、墨絵で社会貢献を行うつどい登録団体の「三楽会」さんもご存じでした。
墨の誕生については「株式会社古梅園」のホームページをご覧くださいませ。
これが会場に置いていた「灯芯草」です。たしかにすぐちぎれました。取り扱い注意ですね(@_@)
この灯芯の髄を巻いて解けないために、真綿をかけるのに使用されます。
まだまだ、旅は続きます♪(テレビ番組の「ぶらり途中下車の旅」のナレーションの滝口順平さんを思い出すのは私だけでしょうね)
真綿(まわた)って、なに?
灯芯を巻いて解けないために、真綿をかけるとお伝えしましたが、真綿ってなんでしょうか?
綿花の綿を思いついてしますのは、私もあまりなじみがないからですかね。河内木綿の連想もしてしまいそう(@_@。。
真綿とは、蛾の繭(まゆ)の繊維です。子どもの時、社会科の授業で蚕(かいこ)が口から出して繭で包み込むことは覚えています。
桑の葉を食べることで繭の原料になるんですね。
蚕と繭です。蚕は湯がかれて死んでいるんでしょうね。
収穫した桑の葉です。桑の木は私も町っ子なので、ほとんどお目にかからずです。
この写真は、何の検品作業なのか、繭を取り出しているのか、忘れてしまいました。
私は、どちらかと言うと生糸・絹の方が言葉の馴染みがあります。
豆知識として、生糸と真綿の違いは、検品時に蚕がおしっこしている場合は真綿になり、おしっこしていない綺麗なのは生糸と分けるそうです。
へぇ~知らなんだ(+_+)。。
この桑の葉は1日2回、蚕が食べるそうです。軽トラック1台分がなくなるそうです。
桑の葉が要りますなぁ。
真綿(まわた)どうするのか?
繭を茹でて、二人で四隅を持って引っ張るとすごく真綿は伸びます。繊維が細かいです。
北川さん夫婦が滋賀県米原市でされていましたが、ご主人が91歳と言うご高齢もあり、やめられました。
伝承は大変です。
四隅を持って引っ張った真綿を和ろうそくの灯芯の髄が解けないようにするために真綿をかけます。
また真綿は、布団の中身(高級布団でふかふかなんでしょうね)や先ほど取り上げた金箔職人さんにも使われています。
日本の大量生産のはじまりは蚕種だと思った(大西暢夫さん談)
蚕種(さんしゅ)とは、蚕の卵を商品化していたお仕事です。現在は、日本には福島県・長野県・愛媛県の3軒しか残っていません。
最盛期には、全国で7,000軒あったそうです。
現在は、ミカン畑があるところは、かつては桑の木が多かった可能性もあるそうです。
蚕のオスに食紅をつけ入れると3時間後には卵を産み付けるそうです。
そして明治時代にかけて、あることを行うと蚕が大量に繁殖を行い、生糸・真綿の量産化に成功をします。
それは、薄い塩酸を入れる事で、40度~45度でまた卵を産み付けることを明治時代に発見・発明をしました。
そのことで、違う時期にも卵を産み付けることが出来るようになり、大量生産・量産化が出来たそうです。
大西暢夫さんは、言います。「日本の大量生産(特に戦後)のはじまりは、明治時代の蚕種だった。」
「衣食住の衣が大量生産のはじまりだった。」と。
住宅開発・建築着工数といった住の部分。農作物の品種改良に伴う量産化やインスタント製品など様々な技術での食の大量生産。
今のは一例ですが、大量生産のはじまりは蚕種にあったと。
自然の仕組みを人が操作しサイボーグのように蚕の卵を産み付けることに、自然の摂理ではないという感覚を持たれたようです。
和ろうそくは、歴史・文化・ものづくり・循環の集合体
大西暢夫さんは、和ろうそく職人の松井さんの想いを、代弁されました。
リサイクルという言葉は好まないようで、永遠と止まらない循環を重視されておられました。土に戻る循環も含めて。
ものづくりの視点になると、ものの綺麗さ、作り方に目が行くが、考え方を知ってほしいと言われていたそうです。
和ろうそくを通じて、つながりが見えた。
大西暢夫氏は、現地へ材料を追いかけてつないだ「つなぎ役」
職人さんは、ものをつくるため、どの材料が誰が造っているのかは、業者さんを通じて調達されているため、
実は職人さんも顔を合わせておらず、交流はないことを知りました。
そこを大西さん現地に赴き、顔と人を知るわけです。
大西さんの言葉ですが、一度、現場へ来たら、根元を知ることが出来ると仰っていました。
つないで行かれたのは、大西さんでした。だから、日本の伝統のあるものづくりの危機も直面されたのですね。
和ろうそくのつないだのを基に、つどいも図解で情報提供
大西暢夫さんは、すでに書籍にまとめておられたので、それを基に流れがわかるように
図解でまとめ、情報を提供させていただきました。
結果的には、書籍提供が促進され、より和ろうそくが様々な日本のものづくり文化・歴史をつないでいることを啓発することにつながりました。
それが、幾度となく登場した図解を最後は、まとめて掲載して終わります。
何度も記事にまとめ、少しでも読まれた方に、感謝申し上げます。
主催者の皆さま、お疲れ様でした。
こちらが、和ろうそくです。展示品で置いておりました。
他にもたくさんのお話があったのですが、私もさすがにお腹がいっぱいになりましたので、
この辺でご勘弁くださいませ。ありがとうございました。
コラム・おまけ:土下座でご挨拶と集合写真
「和ろうそくは、つなぐ」お話会、当日に大西暢夫さんと初めてお会いして、ご挨拶をいたしました。
大西暢夫さんも図解資料でまとめたことに喜んでおられ、こちらもお役に立てて嬉しかったので、
廊下でしゃがんで、最後は土下座でご挨拶をしました。
なんか、新喜劇・コントの様になってしまい、大西暢夫さんも空気を読まれて、大西暢夫さんも土下座でご挨拶されました。
さらに笑いが起こり、会場は和やかな雰囲気になりました。
主催者代表の池田さんまで、みんな土下座でご挨拶しました。ノリがええなぁ~みんなヾ(≧▽≦)ノ
関係者の皆様で撮影に入らせていただきました(*^_^*)
愛知県から来られていた方が、和ろうそく職人の松井さんに図解資料をお渡ししますと言われて、
嬉しくてお渡ししました。愛知県の方も戻って来れたので、もう一度、撮影をさせていただきました。
龍華図書館でも「和ろうそくは、つなぐ」の展示会が行われ、そこでも図解資料もおいていただいたとお聴きしました。
情報提供を通じて、参加者も主催者も関係者も、皆さんにお役に立てて、喜んでいただいてよかったです。
命が一番大切であることを、和ろうそくを通じて、気付いていただければと思います。
最後のシートはその意味です。
ありがとうございました。
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