先日、ドラマ「華麗なる一族」の最終回が放送されました。木村拓也演じる主人公の
「鉄平」が雪山で猟銃自殺するという衝撃的な結末でした。(彼の夢は死後に実現するのですが)
鉄平は、経済界で大きな力を持つ万俵財閥グループの長男として生まれました。
家では家長の父、大介が子供たちの結婚も決定し、家の中に秘書という名の愛人を住まわせるという環境でした。鉄平は優秀で人望のある青年に育ちますが、小さい時から父に冷たくされうとんじられてきて、今は亡き祖父敬介にはかわいがられて育ったようです。鉄平は家族の中で父の生き方に真っ向からぶつかり意見する唯一の人間でした。鉄平が専務を務める鉄鋼会社は巨大なプロジェクトに着手しますが、阪神銀行の頭取である父大介は協力するふりをして徹底的に裏工作をして、そのプロジェクトをつぶそうとします。一方鉄平は度重なる試練にもめげず、仲間と共に奮闘し、父に対して対決姿勢を持ってのぞみます。が、ついに会社が破産したとき、この家に隠されていた秘密が明らかになり、鉄平は父の子ではなく、当時家長であった祖父敬介と母の間にできた息子だったと知るのです。
会社を追われ、父から『「お前が生まれなければ、」と何度も思った』と告げられた彼は雪山で死を選びそして死後、実は父の実の子だったとわかるのです。
この話を外からみると、なぜ彼は死ななければならないのだろう、と思います。
彼には、優しい妻子がいる。若さと才能もあり、まだまだやり直せるはずなのに・・と
鉄平は遺書の中でこう書いています。「父さんに、たった一度でいいから微笑みかけてほしかった。自分はその笑顔を見るために、勉強も仕事もがんばってきた。」と
子供というのは、ここまで親の優しいまなざしを求めてやまないのか、と思います。
多くの親は不完全で弱さがありながらも、わが子をいつくしみ、愛情を注ぎます。
一方、悲しい現実として、この世には子どもを愛せない親も存在するのです。
そしてほぼ間違いなくその親自身、幼い頃から自分の親に愛される経験がなかったと言われています。ドラマの中でも、父大介は鉄平に言います。「お前も苦しかっただろう。だが私だって苦しかった。」そして大介は、憎んでいるはずの祖父敬介の肖像画を家に飾ったままにし、はずそうとするのですが、手をひいて、やめてしまうのです。まさに世代を超えて、「愛してくれない親」の肖像を心の王座に置いた状態なのでしょう。
もし、どんなに切望しても決して自分を愛することのない親のもと、いびつな家庭に育ってしまったとき人はどうしたらいいのでしょう。
実は聖書の中にも、人さまには言えない、というようないびつな家庭はいくつもでてきます。人間のありのままの姿を聖書は書いていて、その一人一人が、聖書の神と
出会っていく様子が伝えられています。
イザヤ書49章にはこうあります。(意訳) 「親が自分の子どもを忘れるだろうか?
自分の胎の子をあわれまないだろうか?・・・たとえ親たちが忘れても、このわたしは
あなたを忘れない。」また、「主は、生まれる前から私を召し、母の胎内にいるときから私の名を呼ばれた。」
深い傷の痛みは簡単には癒えないでしょう。ただ、心の王座に古い肖像画をかけたまま人生をのっとられてきたあなたが、親さえも超えた方の存在に目をとめていくときに、ひとすじの光があなたを照らしていくのではと思うのです。