横浜教会ニュース

インマヌエル横浜キリスト教会の様子をお知らせします

クリスチャンママのブログ紹介

2008年02月25日 | Weblog

「クリスチャンママのブログができた、」
と連絡が来ました。交流の場になるように願って作られたということですので紹介します。読者の皆さんの中で子育て中の方、ご興味のある方はぜひ遊びに行って下さいね。
内容はインマヌエル教団の人向け(キャンプなどの企画と関連していて)ですが。

「クリスチャンmama's cafe」

   http://ameblo.jp/ys-b2008/

ここのブックマークにも登録していますのでクリックしてみてください。
孤独になりがちな子育て時代。祈り合う友と励ましあいつつ乗り切っていきたいですね。


悲しいこと

2008年02月19日 | Weblog

 先日の夜、突然のお知らせが入りました。
昨年マミーズフェロシップに参加してくれたSちゃんが急病のため4歳で亡くなったというのです。来てくれたときは健康でしっかりした感じでしたので「まさか!」と信じられない思いでした。教会でSちゃんがイエス様のお話を一生懸命聞き、礼拝堂でお母さんといっしょに真剣にお祈りしていた姿が思い浮かびます。ご葬儀のSちゃんの写真がまぶしい笑顔で、ご家族のことを思うと余計に痛ましく感じられました。元気だったお子さんが突然召される・・・・その苦しみは想像できません。同じようにお子さんを亡くされた方が「子どもを亡くした親は消えることのない痛みと悲しみを一生持ち続けます。」と述べておられました。その事実を考えるとき、私たちは何もできないのですが、親御さんのため、ずっと祈り続ける必要があると思うのです。
 Sちゃんは確かに今イエス様の御腕に抱かれている、ということはわかります。この大きな痛みの中でご家族がイエス様と共に歩みいつの日かもう一度Sちゃんに会えるという希望を持ち続けられるよう、祈ります。
 また、子どもが皆大人になれるのではないということを刻み、『今日イエスさまを知ってほしい』という真剣な思いで聖書を語らなければ、と思わされています。


 


家庭での礼拝

2008年02月05日 | 家庭・こども

横浜教会では今週金曜日11時からマミーズフェロシップがもたれます。
ずっとシリーズで学んでいる「子育てのストレスを喜びへ」はいろいろなことを気づかせてくれます
 参加しているママたちからは、「毎回納得させられる」「神様の恵みがいっぱいになる」との声があります。

 前回は詩篇119篇24節の「まことにあなたのさとしは私の喜び、私の相談相手です。」
というみ言葉が示された上で、幼児を持つ母親の生活は聖書が読めない、祈りができない、礼拝で落ち着くことができない・・・という状況で心がからからになることが書かれていました。
 著者の玉井先生もそのような経験の中で、ある友人に薦められて、詩篇119篇を8節ずつだけ読むようになり、乗り切ってこられたそうです。
また子どもと一緒に神様を想うとき、気軽にみ言葉に聞くときの大切さも書かれていました。

この学びの後、参加したママのお一人は「子どもに聖書を家庭で教えたい、何を買ってくればよいかしら。」という質問があり、わかりやすい絵のついた子ども用の聖書絵本を紹介しました。
 
お母さんがこのような素晴らしい願いを持ち、少しずつでも子どもに神様の真理が伝わっていくのは、その家庭にとってなんて幸せなことだろう・・・と感じたのでした。

 
皆さんもできる方法で忙しい毎日に聖書の時間をご家庭に染みわたらせてはいかがでしょうか。


こどものように信じる

2008年02月01日 | 家庭・こども

 新年に入ってから右手を痛めてしまいました。なかなか完治せず、3歳の息子と手をつなぐのも痛いことがあります。それでも手をつなぎたがって困ったりしていました。

ある日保育園についたとき、息子が「ママこっちの手、痛いの?じゃあ反対の方でつなごう。」と気をきかせてくれました。「うん、こっち痛いからね」というと
突然その場で
「イエス様、ママの手が早く治りますように。イエス様のお名前によってお祈りします。」と祈りました


そして、「すぐによくなるよ!!だってイエス様は動かない人に『動きなさい』っていったらすぐに治ったもん!」
・・・
と自信満々でいうのです。

私は子どもの心遣いがうれしかったのと同時に、聖書のお話を聞いてそっくりそのまままっすぐに信じているんだなあ・・・と驚いてしまいました。

クリスチャンであっても大人は、「いやあ、すぐってわけにはいかないだろう、いつかは治るかもしれないが」なんて理屈で考えます。そして治ったころには自分がお祈りしたことも忘れて感謝さえ抜けてしまいがちではないでしょうか。

子どもが示すような信じ方には大人がなんだかんだと説明を加えたくなります。
でもイエス様は幼い子どもの信じ方を価値あるものと見積もられていることを思い出しました。
「こどものように神の国を受け入れるのでなければ神の国に決して入ることはできない」と。