横浜教会ニュース

インマヌエル横浜キリスト教会の様子をお知らせします

老人漂流時代

2014年01月30日 | Weblog
タイトルの言葉がしばしばTVで聞かれるようになりました。
なんか辛い響きです。

今日、訪問介護でおじゃました家で
おばあさんが
「誰もこないと気が狂っちゃうよ」と言いながら、ニコッと歓迎してくれました。
そんな思いで過ごしておられたのかとハッとしました

イエス様は地上で、病人、弱い立場の人を大事にされ、たずねてまわられました。

「丈夫な者に医者はいらない。
医者を必要とするのは病人です」と聖書にお言葉が書かれています。

現代人の一番の病は「孤独」なのかな?
そうだとしてもキリストが来たのは孤独という激しい痛みにあえいでいる人に出会うためだったのかな?などと考えます。

どうしたらイエス様を紹介できるのでしょうか。
共に祈って行動したいです。

毎日聖書を読む方法

2014年01月29日 | Weblog
友達が以下のサイトを紹介していました。
毎日聖書を読むって、大事なんですが、朝は子どもの送りと自分のお弁当などで必死だし、夜は仕事の疲れで目もあかないし、でなかなか継続しづらくて。

このサイトなら通勤中に電車で読める!と即ブックマークに登録しました。
「マークチェイン式聖書通読」


マクチェイン式聖書通読: 1/29 創世記 30、マルコの福音書 1、エステル記 6、ローマ人への手紙 1


安心して絶望できる

2014年01月12日 | Weblog
明けましておめでとうございます
皆様今年もよろしくお願いいたします。

昨日の新聞に、中国で合法ではない地下教会の記事が書かれていました。国の政策により家を失った人々が苦しい涙とともに祈ったときに「絶望が少しやわらいだ」そうです。

新年早々「絶望」なんて縁起でもない言葉かもしれませんが。

詩篇42篇 には
「私の神よ。私のたましいは御前に絶望しています。」とあります。なにがあったのでしょう?

3節には「人が一日中『お前の神はどこにいるのか』と私に言う」
10節は「私に敵対する者が私の骨が打ち砕かれるほど私をそしり」とあります。

つまり一日中誰かに悪口を言われつづけ、いじめられているのです。

私たちが一日中責められることはありますか?

実際は10分酷いことを言われると
一日中その言葉がこびりついて
夜中も眠れないほど心が苦しむ
そんなことはあるかもしれないですね。

強いようで人は弱いです。いじわるをされれば骨が砕けるほど人格が傷つく、それは絶望につながります。

そこで、ひとりで絶望するのか
御前に絶望するのか
で、違いがでるのではないでしょうか。
わたしなどすぐにひとりで、あるいは人の前で絶望します。
御前でなら安心して絶望し、祈りにつながり神様に解決を期待できるのではないでしょうか。