横浜教会ニュース

インマヌエル横浜キリスト教会の様子をお知らせします

沖縄からメッセンジャーが来訪されました

2018年07月15日 | Weblog
横浜キリスト教会ブログへようこそ

今日は沖縄の那覇で長年牧師として働かれた金城伸子牧師を迎えました




祈りの人で、教会において、どんな困難なことがあっても神様に信頼しきって祈り続けた方です。

私の叔母でもあり、幼い頃から年に一度会うたびに、真っ直ぐに目を見て、「毎日あなたのためお祈りしています」と力強く言われました。
これは本当のことだ、ただのご挨拶ではなく、本当に毎日私のため祈られていると感じて来ました。

教会のメンバーひとりひとりのため、関係者のため、名前をあげて祈られる姿を見たこともあります。

イエス様への信頼がハンパない!
女性牧師なのです。

伸子先生は熱心なクリスチャンの両親の元に育っていたのですが、高校の頃神様に反抗していきました。でもイエス様に帰ってきて、
「わたしのために働いてくれるか?」という神様からの細い声を聞き、苦しんだのですが、ついに牧師への道を進まれました。

今日のメッセージはヨハネ15章からでした↓



今日のお話しから
‥‥‥

「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなた方の中に留まります。」
イエス様に、任せてイエス様の中にお祈りを通してとどまっていく、それが大事だということです。

朝昼晩、「神様、私はわたしのものではありません。私は貴方のものです。」と申し上げている。そうすると、キリストと繋がり平安でいられるのです。

神様と繋がる一番の基本は礼拝出席です。

‥‥
最後に伸子先生のお母さんのお話しがありました。(私から見ると祖母についてです)

‥‥‥‥‥
(伸子先生の話)
母は戦前は沖縄の裕福な家庭の奥さんだったが、戦争で夫、しゅうと、一番上の息子を含めて家族6人を失い、財産も全て消えました。

女手一つで、子どもらを育てるため戦後の貧しい中食料を抱えて首里への急坂を歩いていた時、あまりに苦しくて道端で「神様、苦しいです。私の命を取ってください」
と言ったのです。

そこに輝くイエス様が姿を現して下さいました。その姿があまりにもはっきりして実在されていることに圧倒され感動したのです。

その時「イエス様は十字架にかかってくださった。ごめんなさい、こんなことで不平をもらして」と言ったそうです。

それからは、神様に頼り切り、食料難の中普通は日曜日も働きに出ないと!という時に子どもたちを引き連れて礼拝を守ったのです。

さあ、お昼をどうしよう?という状況で
帰ると近所の方が芋を玄関に置いて下さっていた、などその時その時に助けが与えられたのです。

姉たちは母のことを「戦後、苦しい時全てを失っても母はいつも輝いていた」と語っていました。

‥‥

⬆︎の話しを聞いて、私も時々会えた時の祖母の
笑顔を思い出しました。

いつも聖書を読み、「イエス様大好き、神様はちょうどよーくしてくださるさ」
と話してくれました。

イエス様に信頼し切る人の素晴らしさを
ジーンと感じた礼拝でした。


Hさん 突然天に

2018年07月01日 | Weblog
昨日の夜

突然の連絡。

Hさんが倒れて今救急搬送されている。と

そして次の連絡で、「召されました」と。牧師夫人の電話の向こうから奥様の声が聞こえました。



え?? 先週礼拝で、声をかけようとして、「ちょっと急ぐのでまた来週」と言われて「さようなら」と送ったんですが

昨日の昼も
牧師夫婦が、電話をしてHさんがお元気に出られてお話したのですが‥‥?

教会のみなさん、呆気にとられている状態です

Hさん、とても頭のいい方で受験生の先生で個人的には
私が高校受験の時、保育士試験のときに
マンツーマンで教えて頂きました。

教会が峰岡町にあった頃からずっとずっーと教会を支えて来られた
とても楽しい個性的なキャラで教会のみんなを暖かく幸せにしようといつもしてくださったHさん

お昼には、ボランティアで美味しい豚汁や、創作料理を沢山振舞ってくださったHさん。なんという大きな愛をHさんから私たちはいただいてきたことでしょう。

その笑顔がリアルに私たちの目に焼き付いているのです。

あまりにも突然ご主人を天に送られた奥様を神様が守ってくださいますように、お祈りします



罪のあるところにゆるしを

2018年07月01日 | Weblog
昨日電車の中でこんな場面が‥

少し混んでいて立っていた少し太めの男性が
電車の揺れた瞬間グラッときて、側の女性の足を踏んでしまいました。


女性は「いったーい!痛い!」と
男性は「すみません、ごめんなさい」と謝ります。

女性は すごーく頭にきてたようで、答えず立ったまま
男性のことを頭の先から、足元まで睨みつけています。
男性は再び「ほんとにすみません、すみません」と頭を下げています。

女性はまた男性を鋭く睨み続けています。

次の駅で、もう一度男性は「すみませんでした」と誤って電車を降りました。

その後女性は空いた席に座りながら、友達に、「つり革につかまればいいじゃんねえ」と口を尖らせて言い、あまり痛がる様子もなく窓の外の男性が出た方向をブスッと睨んでいました。

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いろんな反応があるんだなあと見ていました
思いっきり踏まれて痛いときに、言葉が出ないぐらいのこと、あります。

ただ。何度も反省して謝っているのに、ずっと相手を睨みつけ続ける ある意味この女性 気が強いなあ、そして失敗を、許さない心のスタイルなのかなと感じました

私は、この女性のそばに近づきたくないと率直に感じました。

骨折したとか、取り返しのつかない怪我とかならまた違うかと思いますが、日常のお互い迷惑をかけちゃう、わざとでなくても失敗ってよくあるんですよね

この時、基本的な心が、相手の失敗を絶対許さない。なのか、謝ってくれたことで、心緩ませる
お互い様、という姿勢なのかで、人生は変わってくる気がします。



《マザーテレサの愛した祈り》
憎しみのあるところに愛を
罪のあるところにゆるしを
争いのあるところに一致を
誤りのあるところに真理を
疑いのあるところに信仰を
絶望のあるところに希望を
闇のあるところに光を
悲しみのあるところには喜びを
慰められるよりも慰めることを
理解されるよりも理解することを
愛されるよりは愛することを