ヨハネ6章というところを読んでいます。
多くの人々がイエス様のお話を聞きについてきたが、おなかがペコペコになってしまったのです。でも近くにコンビニもあるわけじゃないし、食事を調達できない。「さあ、みんな帰って食事して」と言っても途中で動けなくなるかも、という状況でした。イエスさまは弟子に言われました。「どこからパンを買ってきてこの人々に食べさせようか。」
実はこれは弟子を試していたそうです。そして
「イエスは、ご自分では、
しようとしている
ことを知っておられた」
と書いてあるのです。
そうとは知らない弟子の前にある少年がパン5つとちっちゃな魚二匹を手渡しました。でもこの大勢の人の胃袋には焼け石に水。
弟子アンデレのセリフはまことにやる気のないテンションの低いものでした。「しかし、こんなに大勢の人々では、それ(パンと魚)が何になりましょう。」弟子のため息が聞こえるようです。
あまりにも大きすぎるニーズが目の前に突きつけられ、手に負えないときに、何から手をつければよいのかと、パニックになるかやる気が失せるという経験はありませんか。その問題を解決するために誰かが提案してくれたことも「意味なし、」と却下するような無気力に支配されることもあります。
しかしイエス様はその時点で「ご自分でしようとしていることを知っておられた」のです。
神様が問題を私たちの前に「お前がやってごらん」とポーンをおかれることがあります。すると私たちは「えっ!!私がですか?」と緊張し、「無理です!!」と心で叫び、実はイエスさまが何かをしようとしておられることに目が向かないことが多いのではないでしょうか。
今心の目を信仰と期待を持ってイエスさまの手に注いでみましょう。「何をなされるのか、」と。
するとたとえ5つのパンと2匹の魚のようにつまらなく見える小さな素材も多くの人が満たされるために使われるのを見ることができるのです。