4月22日は、召天者記念礼拝でした。
教会関係の方で天に召された方々をしのび、主の復活への希望を新たにする時で
横浜教会では昨年より、このイースターの季節にもっています。
召された方の思い出をご家族が書いてくださり、朗読されると、皆さんの生前のお姿が思い浮かび、会場は感動に包まれました。
お一人ひとり、色々な生き方がありますが、地上で主イエス様に信頼し今は天で神様に抱かれて、いつかご家族と再開できる日を待っておられる・・・それが希望です。
私の祖母も数年前に召されました。戦争で夫と息子を亡くし、お姑さんとたくさんの子どもたちを抱えて大黒柱として生きなければなりませんでした。
だれも頼る人がいない、自分がはいつくばってでも家族を養っていかなければいけない。今のように女性でも職がスムーズに持てる時ではありません。小さな雑貨屋を始めて細々と糧を得ていました。彼女が唯一頼れるのは、小さい頃から信じていた神、イエス・キリストでした。
貧しさと多忙の中、それこそ必死で聖書を読み、祈り、教会に通いました。
つらいとき心に刻まれた聖書の言葉は、「あなたがたは心を騒がせてはいけません。神を信じ、また私(イエス・キリスト)を信じなさい」でした。信仰だけを杖にして、
子どもたちは成長していきました。
老後、孫である私たちがたずねていくと、祖母は満面の笑みで「かみさまは、ほんとに良い方だ。かみさまに頼りなさい。ちょうーど良くして下さるから。」と語っては、
聖書に目を落として、読み続けていました。
天に召された方々は、信仰の遺産を残して今日も豊かに語っています。