横浜教会ニュース

インマヌエル横浜キリスト教会の様子をお知らせします

教会ニャンコ

2013年09月28日 | Weblog

当教会のアイドル?
猫のはなこ です

19歳だから、
人間だと90~100歳?

礼拝や、書道教室にいらした方、こどもから大人まで…に
大人気!

前は人をよせつけない雰囲気でしたが、今は年のせいか
人なつっこいんです。

「会いに来てにゃー」

いのちをお捨てに

2013年09月24日 | Weblog
ヨハネの手紙第一3章16節

「キリストは私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは兄弟のためにいのちを捨てるべきです」

壮大な御言葉…

いのちを捨てるって、イエスさまの場合文字通り死ぬことでしたが、私がいのちを捨てるって、わかりにくい…

イエスさまが「いのちを捨てられた」

…私のために、身分を捨て、時間と労力を私のために使い、私のために、人からの評判を落とし、たくさんの損を喜んで受け入れた…と言い換えると

少しわかるかも

兄弟、つまり隣人のことを思うあまり、
自分の損となることをあまんじて受け入れること。

自分の大切な時間、経済的なもの、労力、自分を守るための評判…まずはその一つでも隣人のためにさく。

小さな損を
ささげる…?
今、まずは何をするよう神様に迫られているのでしょうか

リトリートのメッセンジャー

2013年09月21日 | Weblog
先日ご案内しましたリトリート。

その講師の宮崎聖輝(きよき)牧師のプロフィールを紹介します。

…………………………………
当教会出身
東京キリスト教大学卒業。アメリカの神学校で学ぶ。
帰国して日本の聖宣神学院卒業 後、インマヌエル函館教会で7年、木更津教会で4年目の奉仕中。
聖宣神学院の講師もしている。
奥様と二人のお子さんの四人家族。

…………………………………
皆様のお越しをお待ちしています!!

中秋の名月

2013年09月20日 | Weblog
昨夜はみなさん、あの月をごらんになりましたか?

ことしは特別、真ん丸になるめいげつだったとか…

こどもに、「8時12分の月が一番きれいらしいよ」と
教えられて庭へ見に行きました。

口をついて「輝く日をあおぐとき♪月星ながむるとき」という讃美歌がでてきました。

満月はその時間、ひと周り外側にに白いうっすらとした環が見える気がしました。

思いがけずさっきの讃美歌の英語版で
ワンフレーズ
「How great thou Art !!」
と、唄っていました。

「主よなんて素敵なあなたのアート!(芸術)」
あまり普段は景色をみて詩を感じるタイプではないのですが…
夜に 歌って、ご近所めいわくだったかしら…

皆さんはどんな月見をされましたか?

秋のビフォーアフター

2013年09月17日 | Weblog

以前ブログの記事「アッチョンブリケ!」でご紹介した教会のある部屋…

そう、壁がボロボロになってしまったあの部屋が

なんということでしょう!(笑)

この秋、またご奉仕により
お客様もお泊まりできるほど快適なおへやに生まれ変わりました~!!(*^^*)

かべには十字架もあり
落ち着きます

感謝、かんしゃ。

リトリートのお知らせ

2013年09月17日 | Weblog
10月13日 日曜日は、「リトリート」という集会になります。

プログラム

10:30-12:00 礼拝
(メッセージ→木更津教会の宮崎聖輝牧師です)

12:00-13:30 愛餐会(食事のひととき)
会費500円(小学生以下は無料)

13:30-15:00 聖書の学び
「ピレモンへの手紙に見るキリストと、生きた信仰」

神様のみことばを深く学び、皆さんと楽しく交流する一日です。

ご参加をお待ちしています。

帰ってきたワンコ

2013年09月10日 | Weblog
知人の牧師家庭で飼っていた犬が突然いなくなりました。

しばらくしても帰ってこない…
ある日誰かが一枚の紙をその家の門においてくれました

それは動物愛護センターのホームページに写っているワンちゃんの写真。

まさに探していた犬くんでした!

早速迎えに行き数千円払って無事引き取ったのです。

もし気づかず迎えにいかなかったら、殺処分になっていたそうです。

ある方が、そのワンちゃんは
「いなくなり、探され、代価を払ってもらい、助けられた」と表現していたのが心に残りました。

私たち人間は、聖書によると
罪と滅びの世界に迷い出た羊として記されています。

飼い主イエスキリストが
私たちを捜し、見つけて、十字架で代価を払い、引き取ってくださったのだと。

「ひとの子は、失われた者をさがしだして救うために来たのです」

それほど熱心に神様に愛されていることを教えられ嬉しくなりました。

降れよ、恵みの雨よ

2013年09月07日 | Weblog
明日の礼拝で、
合唱による奉仕があります

その歌詞。サビが
「降れよ、今ここに 恵みの雨よ ふりて ことごとく
生かし強めよ♪」

となっています

この夏は地域により水不足だったり、豪雨だったり
雨に対する思いは 場所により違うと思いますが…

聖書にエリヤという預言者のいたころ、国が偶像礼拝をして神様を裏切ったため雨がずっと降らず危機に陥った記事があります

わずかに残った神主の預言者を通して、主はもう一度雨を与えて国を生きのびさせてくださいました。

現代の私たちが
わずかな人数でも、本気で主に立ち帰り、「恵みの雨」を祈り求めていくことを思わされる讃美歌です。

その「雨」が、見慣れた景色を一変させる大雨のように、

今までの常識を覆すほどの
御わざを与えて活かしてくださるように、と期待しましょう

どこにおいても主を!!

2013年09月03日 | Weblog
最近 長かった病気から
回復させていただき、感謝なことに新しい仕事も与えられました。

まだ 慣れるのに 大変です。

仕事内容が自分の手に負えないと、コンプレックスを持ち、反対に 楽勝だと、わたしってできるじゃん、と
日々 しょうもない上がり下がりをしています。

今日、箴言3章を読んだら
「自分を知恵のあるものと思うな」とあり
「アイタタタ…」ときました(^-^;。

その前には
「あなたの行くところ
“どこにおいても”
主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる」

とありました。

そうかあ…
どこにおいても…
教会においてだけではなく、

神さまと関係なく見える
仕事場でも…
家庭でも…
学校でも……

主をまっすぐに見る心の眼を開いてください。
と祈ります。

資格なし OK !!

2013年09月02日 | Weblog
9/1礼拝の聖書箇所はエペソ人への手紙1章でした。

そこから教えられたこと…

「愛される資格なし」で大丈夫!ということです。

仕事を探すとき、よく聞かれることは
「資格ありますか」
「経験ありますか」
小さい子がいれば
「なにかあったとき見てくれる人はいますか」などなどの
条件です。

条件にあわなければ、面接すらしてもらえないこともありますね。

結婚はどうでしょう。
「年収は?」「お年は?」「健康ですか?」

そのように条件で受け入れられたり、切り捨てられたり…という経験は日常茶飯事です。

このクセがついている私たちは
神様の前でも「救われる資格は…?」と自分の中を探したり、たりなければ 資格を得ようと、良い人にならなければ落ち着きません。

ところが
エペソ 1:7には

「私たちは、…御子(イエス)の血によるあがない、すなわち罪のゆるしを受けているのです。
これは、神の豊かな恵みによることです」

と書いてあります。

恵みとは、働いた分の給料とは違い、一方的に与えられるプレゼントです。

聖書の神様の救いは

「価値のないものがいただける救い」

だ・か・ら

「愛される資格なし!」のままで
神の子ども とされるということなのです。

それにはただ、悔い改めて、神様のプレゼントを「ありがとうございます」と
受けとるだけなのですね。