横浜教会ニュース

インマヌエル横浜キリスト教会の様子をお知らせします

主の慈しみに生きる人の死

2009年07月18日 | Weblog

以前書きました難病と闘っておられたMさん。
先週天の父の御そばに呼ばれました。昨年の12月までの命、と宣告されたMさん。ご家族、教会員、他の教会の方々も必死で祈り続けました。Mさんの病魔との闘いはあまりにも苦しく
彼女の体は巨大な腫瘍に吸い取られていきました。闘病中はご本人の希望により教会員は面会できなかったのですが、Mさんを見守り続けたご家族からのご報告により「良くなってきている」と聞けばホット胸をなでおろし、「調子が悪く危険」と聞けば、ハラハラして心を痛めながら皆で一つ心で「祈り続けました。
お母さんであるMさんを見守り続けたお嬢さん、そしてご主人、息子さんは彼女の苦しみをあまりにも見過ぎてどんなにおつらかったでしょう。
Mさんは皆さんから手紙、カード、テープなど届けられるたびに「ありがたいことだねえ。」「感謝だねえ」と喜んでおられ、すべてを主にゆだねて、生きる気力で医者が「奇跡だ」とおどろくほど、いきのびられました。皆がハラハラする中で激しい苦痛の中でも一番平安だったのは実はご本人のMさんだったのです

召されて教会にお体が戻ってこられてはじめて私たちは彼女に会えました。ふっくらとしたお顔がここまでおやせになって、闘いの激しさに驚きました。それは命を注ぎつくしてご家族、人々を主のもとに導いた証拠と見えました。イエス様ご自身、見る影もないほど打たれてお顔が変わられたことが聖書にありますがそれを思い出しました。そんなに変わっておられたのですが、幼い子どもは、「大好きなM先生が帰ってきた!」と大喜びでそばであそんだり、一緒に寝るんだ、と言ったり・・・

Mさんはご家族にとって、最大の宝、頼りになる愛情深いお母様でした。

教会の私たちにとっても、ある人にとっては笑顔満開の教会学校の先生、
ある人にとっては心の母、また信仰の恩師、また、悩みを聞き祈ってくださる存在、また同年齢の方々にとっては共にキリストに仕える戦友であったでしょう。

皆、正直、あまりのショックで語るべき言葉がなく、涙、涙、の葬儀でした。
葬儀でお嬢様の語られた言葉が心にのこりました。
「母は教会や教会の人々に依存しているのかと以前は思っていました。
でも母の闘病を見ていて母はまっすぐに神様とつながっていたのだとわかりました。」

Mさんの死は敗北でなく、凱旋です。でも地上でのお別れはやはりつらいものです。ましてご家族のお苦しみ、涙の日々はどれだけ続くでしょう。
祈りつつ見守るしかありません。主が涙の日々を共に歩んでくださると信じて。皆様のお祈り感謝します。

主の慈しみに生きる人の死は主の前に尊い」詩篇116:15