横浜教会ニュース

インマヌエル横浜キリスト教会の様子をお知らせします

だれがこの石を?

2013年10月29日 | Weblog
27日の礼拝メッセージはマルコの福音書16章3~4節が開かれました。


~~彼らは「だれが、わたしたちのために、墓の入口から石をころがしてくれるのでしょうか」と話し合っていた。
ところが、目をあげて見ると、石はすでにころがしてあった。この石は非常に大きかった。~~

イエスさまが死刑にされて絶望の中に女の弟子たちがお墓をおとずれたところです。

「この石を転がしてくれる人がだれかいるでしょうか?」

女性で力も弱く工具なんてもちろんないので、お墓の入り口をふたしている巨大石をどけることはできません。できないけどとにかく彼女らはそこまで行ったのです。

私たちが生きる上で、解決法がない、見当もつかない事態にあうことがあります。どう、個人が頑張っても太刀打ちできない、そんなことってあるのです。

あの「石」は、
希望が0の状態、また、
乗り越えられない「死」の壁であり、
同時に「わたしの大事な主と会えなくなった」苦しみの象徴にも見える気がします。

この「石」を動かせるのは、「私たち」の努力や腕力、マンパワーではないようです。

ところが…「石はすでに転がしてあった」のでした。

女たちは、解決法がなくてもその石の前に来ました。主のご遺体にお会いしたい一心で。

そしてただひとり、この「石」を動かせる方のとんでもない力を見ることができたのです。

復活されたイエスさまのお力により置かれている環境で「石」が動く、そのことを私たちも見たいとねがいます。

主にあって死ぬものは幸い

2013年10月19日 | Weblog
この一週間は、悲しみのときでした。
まずインマヌエル教団の女性牧師が54歳の若さで召されました。

その数日後、闘病されていた、この教会のご婦人が 天にかえられたと、お知らせがきたのです。

多くのご奉仕を通して、教会を支えてくださった方です。

とくに何十年という期間、教会学校の教師としてご奉仕 されました。

個人的には、私が中学生の時の担任であり、また私のこどもたちも、彼女に聖書を教会学校で教わりました。

ご近所の子どもたちを、車でご主人と一緒に毎週教会へ送ってくださり…今その子たちのお一人は、クリスチャンキャンプ場スタッフとして活躍中。
「Kさん(召された方)ご家族に出会えて、わたしはイエス様に出会えました」という言葉がありました。

お別れ会が木曜日にあり
「黙示録14章13節」から
「今からのち、主にあって死ぬ死者はさいわいである。…彼らはその労苦から解き放たれて休むことができる。彼らの行いは彼らについていくからである」という御言葉が開かれました。

ご婦人は、最後の入院直前まで、「体のゆるされる間はやらせて頂きます」と、教会学校も、その他のご奉仕も続けてくださいました。ひたすらに主にお仕えして、天のふるさとへ戻られたのです。

いよいよリトリート

2013年10月10日 | Weblog
10月13 日は、木更津教会の宮崎聖輝牧師を迎えて リトリートの礼拝と集会と以前お知らせしました。
お昼ごはんの準備や礼拝で若いものたちが賛美奉仕する練習に励んでいます

聖輝牧師も賛美にギターで加わるかも!です。
心と体いっぱい力の限りイエスさまを賛美 したいですね。
お待ちしています!

とび出せ!クリスマス

2013年10月07日 | Weblog
今年のこども向けクリスマス会のタイトルです。

12月1日 日曜日午後1時30分からやりますよー

昨日も準備がすすみました。

飛び出すカード工作やパントマイムげきなど盛りだくさんのこどもクリスマス

なにがどう飛び出すか?!

横浜キリスト教会で幼児から小学生のみなさん待ってまーす♪♪ヽ(´▽`)/

愛するものが傷つけるほうが

2013年10月01日 | Weblog
キリスト教に対してみなさんはどんなイメージをお持ちでしょうか。

一つの ものとして、「ニコニコして耳聞こえのよい会話をしている人たち」というイメージもあるのでは、と思います。

箴言に「憎むものがくちづけしてもてなすよりは、愛するものが傷つけるほうが真実である」
と書かれているのを見つけ、少し衝撃でした。

相手の聞きたくないことも必要であれば言うこともある。言えば自分も嫌われるかもしれないし、相手も苦しむ。しかしそこに真実さがかくれている場合がある

心で憎んでいるのに顔と口だけだけニコニコして差し障りのないことで偽の平和を保つ…そんな、人間関係を聖書はよしとしていないのですね。

また、神様も私ども人間に

「間違ってるよ。滅びてしまうよ」
と耳の痛い言葉をかけ続けておられます。
そこに真実な愛がかくれていることを覚えたいのです