日本の社会では年金問題が日々取りざたされています。
「将来年金はいくらもらえるの?」と知りたい人は多いのですが、どんな専門家でも何十年後の日本の経済情勢などを正確に分析して、「はい、これだけ保障されてますよ」などと言える人はいないそうです。
私などは国民年金にしか入っていないので、厚生年金の加入者の方はどんなに安心かなどと思っていました。ある番組を見ていたら、定年間近でお二人とも公務員のご夫婦のインタビューがありました。その方たちは「老後の暮らしが(経済的に)心配だ」とおっしゃるのです。その時、人というのはどんなに備えがあるように見えても心配はするんだなあ、と思いました。
かくいう私も老後のことまで色々考え、考え過ぎるとくよくよしてしまいます。
私たちは死ぬ前までどうやって生き延びるかに躍起になり、様々な保険会社が保障を提案してきます。
そんな中、ふと思いました。神さまを信じるものに唯一はっきり保障されているものがある、と。それは死んだ後の生活だと。
聖書にはイエス様を信じることにより、永遠の命、そして住むべきふるさとが約束されているのです。それはなんとありがたいことでしょう。実はそれが一番大事な保障であり、私たちがセールスマン以上に宣伝しなければいけないものなのですね。
「主があなたの永遠の光となり、あなたの神があなたの光栄となる。あなたの民はみな正しくなり、とこしえにその地を所有しよう」 イザヤ書60章19,21節
聖書の詩篇30編には、次の言葉があります。
「夕暮れには涙が宿っても、朝あけには喜びの叫びがある。」
この箇所を他の日本語訳で開いてみると次のように書いてありました。
「泣きながら夜を過ごす人にも 喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる。」
あなたには、泣きながら過ごす夜はありましたか。それはどんな涙だったでしょう。
ある時は大事な人やものを失ったこと、思わぬ病気や災害に見まわれたこと、また
あるときは、自分自身のいたらなさから引き起こされた悪い事態から流される涙かもしれません。
自分でもどうにかしないといけないとわかっているけれど、自分で自分をどうにもコントロールできないそんなわが身に絶望し、神さまなんているのか、とうらむ。こんなときは決してこの暗闇が晴れることはないと思えます。
しかし聖書は言います。「喜びの歌を歌う朝がくる」と・・・・・。
この箇所の少し前を見ると
「ひとときお怒りになっても 命を得させることをみむねとしてくださる」とあります。
この詩篇の著者は神から怒りを受けることをしでかしてしまったのかもしれません。
こういうとき苦しみを受けると、自分のせいですので、「なんて自分は愚かだろうか生きる資格もない」と思い、逃げ場がありません。しかし、そんな弱さでいっぱいの人間に、神様は
「お前が生きていることが私のこころだ」と言ってもう一度たたせてくださるのです。
単に、悪いこともあればいいこともある、という観念的な世界ではなく、
主なる神様が積極的に「命を得させよう」と思われるからこそ、どんな絶望の夜を
過ごす人にも喜びの歌、讃美の朝が与えられるのです。
次のマザーテレサの言葉を読んで、ドキッとしました。
「男女を問わず、自分のお金をいかに貯めるかで悩んでいる人々は、真の貧者です。
もし自分の手許にあるお金を他人に与えようとするなら、その時、その人は富者、真の意味で豊かな人となれるのです。」
わたしたちにはお金を用意しなければいけない人生の必要が数え切れないぐらいあります。
・自分の結婚資金・いざというときの医療費・子どもの学費・老後の必要・・・・・・・・
貯めてもためても、まだ足りない、不安だ、と思うほどです。
自立した一人の人として、少しずつ経済的に用意するのは、大切なことのはずです。
私も、お金は使うことより貯めることの方に心が向くタイプです。
でも、人間というのは弱いものです。「貯めているお金そのもの」に信頼をおいていると、そのお金が自分の未来を決定し、希望をかなえてくれるものと錯覚しはじめるのです。
マザーテレサはこうも書いています。
「私の恐れているものは、ただ一つ。お金です。お金への執着、金銭欲こそは、ユダをしてイエスを裏切らせる動機となったのです。」
金銭を神とするのは自分の中で神さまへの信頼が薄くなってきた時ではないでしょうか。そうなると将来おきてくるすべてのことを「今」把握しておかなければ案心できなくなるのです。そのためにはお金が一番だし、そのお金を
生み出すことが一番大事な仕事になり、合理的でない作業、人に愛を注ぐ時間さえもったいなくなってくる・・・やがて心がかさかさ、乾燥したひび割れ状態に陥ります。それが本当の貧しさ、呼ばれているのかもしれません。
マザーテレサは、イエス様からの呼び出しに応えて、街で産み捨てられた孤児たちを連れてきて育て、勉強を教えていきました。「何をするかと決める計画などはありませんでした。苦しんでいる人々が私たちを必要としている、と感じた時、それに対処したにすぎません。神さまは、いつも何をするべきかを教えてくださいました。」といっています。
神の御心に応えて生きていこうとするときに、将来の必要、なすべきこと、それらを神がにぎっていてくださるのです。その大きな安心感に包まれるとき、金銭への執着から解放されていくのです。
ヘブル人への手紙13章5節
「金銭を愛する生活をしてはいけません。主ご自身がこう言われるのです。
『わたしは決してあなたを離れず、またあなたを捨てない』」