最近子育てに自信を持てない自分に気がつきました。
「こういう風なしつけをしなければと思うのだけど、無理やり子供に押し付けている気がする。」「子供がちっともこちらの願うように動いてくれない、そんな自分は周りからダメな親と思われている」
そんな無意識の自分への責め言葉を自分から休みなくあびせつつ子供と接しているため、疲労は多く、子供も安らいでいません。
いくつかの本を読む中で、児童精神科医師の佐々木正美先生が書かれた『子供へのまなざし』に出会いました。
「不安が大きくなると人はどうするのか、なにかにしがみつこうとするわけです。親が幼い子どもにすがりつくというのは、どういうことかというと、自分の思いどおりの子どもにして、なぐめられようとするのです。不安が大きい人ほど、子どもを操作しすぎる。自分が気に入るような子どもにして、精神的に満たされようとする。」とありました。岩月先生の本にも似たような内容があり、〈他のそうして育った子どもは、親の顔色をうかがい、「怒られる不安、期待に答えないと親に見捨てられる恐怖」があるから、一見いうことを聞く“よい子”として育つが、エネルギーを親に吸い取られて命を削って生きているため、思春期になると枯渇してさまざまな問題が出てくる。〉ということが書かれていました。
私はそんな不安を抱えて子育てを最近していたと思い当たりましたが、気がついたものの、そのどうしようもない不安、恐れが消えず悶々としいました。
ふと最近読んだイザヤ書41章13節~14節が思い出されました。
「あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、
『恐れるな。わたしがあなたを助ける』と言っているのだから。
恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしはあなたを助ける。」
人には、数えれば不安の材料はつきないのだけれど、私を造り、世界を治める神様が、わたしの右手をにぎっていてくださる。「恐れるな」は、「だいじょうぶ、だいじょうぶ」という言葉かけでもあるのです。そんな方に支えられているとき、私は不安も小さくされて子どもに向き合えるのです。
「子どもへのまなざし」にはこうも書かれていました。
『乳幼児期の育児は、ひとことでいえば、子どもの要求や期待に、できるだけ十分にこたえてあげることです。せんじつめればそれだけのことです。そして子どもの要求にこたえてあげて、こちらから伝えたいことは、「こうするんでしょ、そうしちゃいけないんでしょ」とおだやかに何回もくりかえし伝えればいいのです。いらだったり、しかったりする必要はないのです。』
・・・とっても教えられた文章でした。