富山県の友人(牧師)のブログで以下の話が紹介されていました
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ある日曜日の朝、小さな女の子が、牧師先生に言いました。
「わたし、いつも寝る前にイエス様とお話しするの。イエス様がいつも、わたしの枕元に来てくれるの」
牧師先生は、それが本当かどうか確かめたいと思いました。それで、女の子にこんな質問をしました。
「それじゃ、私が教会の牧師になる少し前に、私がしてしまった罪、それが何だったか、イエス様に聞いてみてくれないかな?」
「わかったよ」女の子は答えました。
誰にも話したことがないから、誰も知らない。分かるはずがない・・・その牧師先生は思いました。
次の日曜日、牧師先生は女の子にたずねました。
「どうだったかな?イエス様は何て言ってた?」
女の子は、少し困った顔をして言いました。
「それがね・・・イエス様・・・覚えてないって・・・」
その時、その牧師先生は、十字架の死によってもたらされた罪の赦しを、心の底から再認識したということです。
「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法を思い出すことはしない」(ヘブル10章17節)
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ある日曜日の朝、小さな女の子が、牧師先生に言いました。
「わたし、いつも寝る前にイエス様とお話しするの。イエス様がいつも、わたしの枕元に来てくれるの」
牧師先生は、それが本当かどうか確かめたいと思いました。それで、女の子にこんな質問をしました。
「それじゃ、私が教会の牧師になる少し前に、私がしてしまった罪、それが何だったか、イエス様に聞いてみてくれないかな?」
「わかったよ」女の子は答えました。
誰にも話したことがないから、誰も知らない。分かるはずがない・・・その牧師先生は思いました。
次の日曜日、牧師先生は女の子にたずねました。
「どうだったかな?イエス様は何て言ってた?」
女の子は、少し困った顔をして言いました。
「それがね・・・イエス様・・・覚えてないって・・・」
その時、その牧師先生は、十字架の死によってもたらされた罪の赦しを、心の底から再認識したということです。
「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法を思い出すことはしない」(ヘブル10章17節)