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バス停近くの道路のわきに、排気ガスをうけながらひっそり咲いている草花
もしこの花の心をのぞいてみたらどうでしょう?
「まったくおもしろくないぜ。俺は枯れ葉なんかと一緒にいたくない。いつも排気ガスを吸わされて。
人生オワタ(T▽T)」
この花はあした誰かに引き抜かれて捨てられるかもしれません。
こんな境遇の花に誰が「いい花人生だったね」と言ってあげられるでしょう?
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自分や周りの人々を見たときはどうでしょう?
今はなんとか生活できる。
しかし老後破産はしないだろうか?
毎日、あの人がイヤ、私の環境は最悪…でも将来安泰できる地位をもてるために思いきってなにかを変える行動にチャレンジすることも怖い。
ただ我慢するしかない、どうせそれが私の人生。あーやだやだ。
そんなつぶやきは巷にあふれてあの道端の草に重なりませんか?
神様の視点からはこのように声がかけられていますね。
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マタイ 6:30
『今日あっても、明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装って下さるのだから、ましてあなたがたに、良くして下さらないわけがありましょうか。』
神様にとっては
『明日の地上でのあなたの運命は問題外。
今、あなたは咲いている。わたしが生かしている。わたしが命を与えている。周りは枯れ葉でも排気ガスを吸ってても、私があなたを美しく造ったのだよ。あなたは今、咲いている。
あなたは今最高に宇宙の創り主に愛されているのだよ』
という目線なのでしょうか
私たちの今、今!このありのままの自分に神様がこの視線をあふれるほど注いでおられるとしたら
あなたは二度と戻ってこない
「今日」を どう生きたいですか?