皆さまいかがお過ごしでしょうか。
インマヌエル横浜キリスト教会ブログです。
今日は、礼拝で新しい取り組みをしました。
というのも本日の説教は、
木更津教会の主任牧師、
そして、当教会の協力牧師の
宮崎聖輝牧師が担当ということで、
二つの教会で、同時に説教を生配信するということになったのです。
両方の教会の皆さんのご協力により
無事に、同じ時間に
木更津教会と横浜教会で説教を聞くことができました。
病床の方も、コロナで配慮し、外に行きにくい方も、同時に礼拝に配信で参加できて嬉しい日でした。
(今回は説教の録画がありません)
説教の要約を紹介し、ピアノによる賛美は動画で貼りますね。
教会の宣教の始まり
ヨハネ福音書20章11-29節
要約
○弟子達の持っていた課題
1.涙
2.鍵
3.疑い
イエス様の復活後、弟子たちは宣教を始めるどころか、一つ家に閉じこもり部屋には鍵がかけられていました。
ある意味、今の時代はコロナのために閉じこもっていないといけない、
声を外に出したり、宣教の広がりが難しく感じるかもしれません。
この時の弟子の心境を察することができます。
そのようななか、弟子の課題、一つ一つにイエス様が触れていかれます。
今日でも、わたしたちが日々抱えている課題を丁寧にイエス様が取り扱ってくださるのです。
1.涙
ヨハネ20章11-18節を見ると
「マリアは‥墓の外で泣いていた」
マリアに取り憑いていた7つの悪霊を追い出し人生を変えてくださった愛するイエス様が十字架で死んでしまわれた。
しかも丁寧に葬ることもできなかった
そんな喪失感と悲しみ、絶望感に満ちていたでしょう。
今、コロナ禍で家族であっても最期に会えずにお別れする、国によってはきちんと葬ることもできない、そんな涙に覆われている世界です。
また、教会としても共に礼拝を捧げることができにくい、痛みのある時代です。
空っぽの墓をのぞいて、イエス様が持ち去られた、と泣いているマリア。
しかし、実はイエス様は持ち去られたのではなく甦られたのです。
そして、マリアのそばにまで来てくださっているのに、気が付かなかったのです。
私達も、絶望、試練のなかでイエス様を見失う、側におられるイエス様に気付かないことがあるのではないでしょうか?
ここでイエス様はマリアの名前を呼んで
マリアは「ラボニ」と応答しました。
イエス様は呼びかけだけで終わらず、
マリアに弟子達のところに「行きなさい」と宣教に遣わされています。
イエス様は私たちの名を呼んでおられる。
そして宣教に遣わしてくださる方です。
2.鍵
ヨハネ20章19節、26節
戸に鍵がかけられていた。
と続いている
彼らは、イエス様を十字架につけたユダヤ人達を恐れて閉じこもっていました。
イエス様は「閉じられた戸をものともせずに内側に入って来てくださる主である」
ということです。
たとえ、いま教会の扉が閉じていても、自粛や病で教会にこれなくても
イエス様は、その閉じこもっている中にいらしてくださる課題なのです。
19節「平安があなた方にあるように」
教会は、この世の与えることのできない平安を今も伝えることができます。→これが教会に与えられた使命です。
22節「息をふきかけて」「聖霊を受けなさい」と言われています。
教会は、自分の力ではなく、聖霊様の力によって宣教が進んでいく事を表しています。
23節
罪の赦しを示された
あなたがたが誰かの罪を赦すならあなた方も赦される。
3.疑い
24節以降、トマスにスポットが当たっている。
「トマスは彼らといっしょにいなかった」
彼は何らかの理由で弟子の交わりから退いていた。
しかし26節で
トマスも彼らと共にいたのです。
彼は交わりに戻ってきたのです。
コロナ禍において、教会の交わりに入りにくくなっています。
しかし、インターネットなど様々な媒体を使って、あるいは手紙でも、祈りによってでも教会の交わりに留まり続けたいです。
トマスがイエス様に出会えたのは
まさに、弟子達の交わりのただなかにある時だったのです。
涙、鍵、疑い、それらをものともせずに私たちに近づいて宣教に、遣わしてくださる主に感謝します。
(ピアノによる賛美歌👇)