学生時代の後輩にあたる、藤䉤牧師の働きが映画になっています。
FEBCで紹介記事がありました。
彼は、自殺防止と、困難な方が共同生活をしながら立ち直るための支援のミッションをされています。
牧師と命の崖紹介記事
記事の抜粋👇
「この映画で描かれていたものは何だろうか」と、帰りの電車で考えていました。
もちろん、そこには藤藪先生が携わっている自殺防止活動の姿がありました。
ただそれ以上に私が感じたのは、
「藤藪庸一」という一人のキリスト者のリアルな姿でした。
「死にたい」という思いを抱えた方を、何とか受け止め、
共に生き直そうと、必死になって駆け回るその姿。
しかし、それでも受け止めきれずにポロポロと溢れていってしまう、人間ゆえの脆さ。
懸命に「ひとり」と関わるからこそ、そこにある無念や痛みは激しいと思います。
映画の最後の最後に出てくる先生の表情に、
「この活動に献身するというのは、こういうことなんだな」と思いました。
答えのない問いの前に立ち尽くしている一人の人、
「死にたい」そして「生きたい」という思いを抱えた人と共にもがく、一人のキリスト者。
FEBCで紹介記事がありました。
彼は、自殺防止と、困難な方が共同生活をしながら立ち直るための支援のミッションをされています。
牧師と命の崖紹介記事
記事の抜粋👇
「この映画で描かれていたものは何だろうか」と、帰りの電車で考えていました。
もちろん、そこには藤藪先生が携わっている自殺防止活動の姿がありました。
ただそれ以上に私が感じたのは、
「藤藪庸一」という一人のキリスト者のリアルな姿でした。
「死にたい」という思いを抱えた方を、何とか受け止め、
共に生き直そうと、必死になって駆け回るその姿。
しかし、それでも受け止めきれずにポロポロと溢れていってしまう、人間ゆえの脆さ。
懸命に「ひとり」と関わるからこそ、そこにある無念や痛みは激しいと思います。
映画の最後の最後に出てくる先生の表情に、
「この活動に献身するというのは、こういうことなんだな」と思いました。
答えのない問いの前に立ち尽くしている一人の人、
「死にたい」そして「生きたい」という思いを抱えた人と共にもがく、一人のキリスト者。