スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

小田原宿②

2012-11-17 | 旧東海道


お城の「馬出門」を出てR1を跨ぐと、ほどなく・・

松原神社

祭神:日本武尊
              素戔嗚尊・宇迦之御魂神
        由緒や創立年代などは不明

古老の口碑によれば、後醍醐天皇(1318-39)の頃
この地に真鶴が棲み、鶴の森明神と称していたといいます。
天文年間(1532~54)に山王原村松原の海中より十一面観音が出現、
その託宣により本地仏として祀ったことから「松原大明神」と称しました。

小田原北条氏の尊崇篤く、その後も稲葉氏・大久保氏の庇護を受けて
代々小田原宿の総鎮守。 明治初め「松原神社」と改称しました。

「吉兆の大亀」

甲羅を撫でると心願が叶うという亀の石像。
制作年代は不明。 頭部(左側)が欠けています。
言い伝えによれば;
小田原の海岸に大亀が現れ、3代北条氏綱がこれを吉兆であるとして
当社に参詣し舞を奉納したところ、翌年の河越夜戦でわずか8千の
兵で、8万の関東管領上杉軍
を破って関八州平定を成し遂げたとか。



通りを隔てて、神社のほぼ向かいの少し奥まった所に

明治天皇宮ノ前行在所跡

小田原宿に4軒あった本陣の筆頭 清水金左衛門本陣跡。
明治天皇はこの本陣に、1868(明治元)年の御東行の際を初め
計5回ご宿泊になったそうです。 当時の敷地は約240坪とか。


R1の「本町交差点」角に

小田原宿なりわい交流舘

1932(昭和7)年築の旧網問屋を再整備した出し桁造りの建物で、観光客のための
案内所 兼 無料休憩所として、また市民文化活動の場として開放されています。


お茶のサービスもあって、ちょっと一休み




「交流館」から少し浜側へ行った所に

徳常院

曹洞宗のお寺。
当寺の地蔵尊は、1713(正徳3)年 江戸・増上寺塔頭の心誉常念が
作らせたという 総身が5mもある青銅製で、もともと
箱根芦ノ湖畔の
賽の河原に安置されていましたが、明治の廃仏毀釈で古物商の手に
渡り、東京に運ぼうとしましたが尊体が地を離れず、浜名主の夢枕に
立ったりしたため、有志が募金をして像を買い取り当寺に安置したとか。

また、八百屋お七の供養に恋人の吉三郎が作らせたものだと
いう伝説もあって、「吉三地蔵」とも呼ばれているそうです。




それでは、街道筋(R1)に沿って歩いてみましょう☆


左側に、歴史の趣を感じさせる建物

済生堂薬局小西本店

関東大震災で倒壊した明治時代の建物を大正年間に復元したもの。
石造りの薬種蔵を内包しているそうで、純和風の木造建築。


右側に、ひときわ目を引くお城のような建物

外郎博物館

中国伝来の小粒の丸薬「ういらう」を、600年来の製法で作り販売しています。
長年愛用しているという知人から
、‘猫’も頂いて服用したことがあります。
諸症状に効く万能生薬だそうですが、近年の環境変化により薬材が手に
入りにくくなっているため、1回に買える量に制限があるのだとか。
本日は、残念ながら定休日でした・・・


その先に、若者にも人気の有名店

柳屋ベーカリー


小ぶりながら、ずっしり重みのある「薄皮あんぱん」が人気です。 
「ちい散歩」の地井さんとか、芸能人も来店しているようですね。



道の左側に

ちん里う

明治初期に創業の梅干屋さん。
店先に、様々な種類の梅干や種が展示されています。
思わず酸っぱい唾液が・・・(笑)

またまた買物ツアーになりそうなので、この辺りで・・

日本橋から85km




では、ここで
城内の「郷土文化館」に展示されていた写真をご紹介しましょう。
現在のこの辺りと比較してみると、なかなか興味深いですね☆

江戸末期の小田原宿の様子

オランダ人写真家が撮影したもの。


明治初期の小田原宿の様子

横浜居留地の英字新聞に掲載されたもの。


(続)





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