スニーカー履いて

‘猫’も歩けば・・・今日はどんな出会いが?

旧東海道・小田原宿①

2012-11-16 | 旧東海道


では あらためまして、旧東海道ぶらり旅の続きと参りまセウ



前回 小田原宿に入ったので、今回はJR「小田原」駅から。



先ずは西口前の早雲さんに敬意を表し・・

北条早雲公像

後世「北条早雲」と呼ばれる室町~戦国の武将 伊勢新九郎盛時( ?ー1579)
出自には諸説あるようですが、備中国(現・岡山県)出身といわれます。
小田原は、96年間にわたって繁栄した小田原北条氏の城下町。
銅像は、1990(平成2)年建立。




駅近の史跡と聞いたのですがわかりにくく、のっけからウロウロ・・
「おしゃれ横丁」という路地を入って行った所で、やっと見つけました!
        

北条氏政・氏照墓所

氏照(左)・4代氏政(中央)・氏政夫人(右)の五輪塔
手前に生害石  左に3人の法号を刻んだ笠塔婆型墓碑

1590(天正18)年 秀吉の小田原攻略で城は落ち、5代氏直は高野山に追放。
父 氏政と氏政の弟 氏照は自刃し、此処にあった氏寺の伝心庵に葬られました。




「お堀端通り」を歩いて行くと

国指定史跡 「三の丸土塁跡
          
 本丸・二の丸を囲むように堀と土塁を廻らして三の丸としていました。
この場所の西側に、三の丸入口の「幸田門」があったようです。
 

鐘楼

大手門跡の石垣には、大正時代に移築された「時の鐘」があり
午前6時・午後6時に鐘を打って時を知らせていました。
現在の鐘は、1953(昭和28)年製とか。



お城に入ってみましょう☆

「小田原城」は15世紀中頃に大森氏が築いた山城が前身で、その後
小田原北条氏の居城となり、秀吉軍22万の攻略に備えて城下を含む
全長9kmに及ぶ「総構え」を築き、最大規模の城郭となりました。

北条氏滅亡後は家康家臣の大久保氏、寛永年間に稲葉氏、その後
再び大久保氏と城主が変わりましたが、元禄大地震で倒壊焼失。
一部再建されて幕末に至り、明治初め廃城となりました。


銅門

二の丸の正門にあたり、本丸へと通じる大手筋に設けられています。
渡櫓門・内仕切門・土塀で周囲を囲む枡形門で、渡櫓門の銅板装飾が
その名の由来。  現在の門は、1997(平成9)年に復元されました。


常盤木門

本丸正門にあたる門で、最も大きく堅固な造りです。
傍らに立つ巨松に因んで、その名が付けられたとか。
1971(昭和46)年に復興されました。


天守閣

江戸時代に再興された際の雛型や引き図を基に、1960(昭和35)年に
市制20周年記念事業として復興。 3重4階の天守に付櫓・渡櫓を付した
鉄筋コンクリート製で、標高60mの最上階からの眺望はなかなか☆



左手遠くに、三浦半島も うっすらと・・




小峯曲輪北堀

江戸前期に「雷曲輪」、後期には「小峯曲輪」と呼ばれた曲輪が この
左手にあり、それを囲む堀(土塁と空堀)の北側部分が残っています。


報徳二宮神社

二宮尊徳翁が祀られています。 
1894(明治27)年 建造。

          
二宮尊徳(金次郎) 農政家・思想家 (1787-1856)
若い頃、藩家老 服部家に若党(中間)奉公をしており、当時 漢学塾に
通う服部家の若君にお供して、この近くを行き来していたとか。 後に 
城主大久保忠真に登用され、諸家・諸領の改革・復興に尽力しました。


では、お城を出て市内の史跡を巡ってみることにしましょう☆

(続)



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