日本の屋根裏人のワイコマ日記です

日本の屋根と云われる北アルプスの山々は、世界遺産の富士山に次ぐ名峰の数々、この素晴らしい環境の麓から発信する日記です。

無謬性の罠、について教えられる

2021年08月25日 08時05分18秒 | Weblog
今朝の信州は、朝4時には小雨でしたが予報は
曇りでしたので、本を読みながら様子を見て
5時半から一時間だけのwalkingとしました。
昨夜はパラリンピックの開会式を、11時まで
見てしまいました。いい開会式だったと思い
ます。
先日の横浜市長選挙から、内閣の発信は大し
た報道もなく、暫く2020東京パラリンピック
の報道に国民の目が移ります。その間に政界は
水面下で、新型コロナ対策、緊急事態宣言、
自由民主党の総裁選挙、そして衆議院議員の
総選挙の対策などが各派閥や各団体の中での
対策会議が行われます。本来なら地方からの
お上りさんや地元の県議、市議、地域有力者
等を集めてのパーティーなんですが、ここは
新型コロナ対策で5人以上の飲食は出来ません
ので、どんな形で開催するのか興味深いところ
です。国民の目はパラリンピックと甲子園野球
に向いていますから、この二週間位が絶好の
機会のはずです。
そこで先日aquaさんのマガジンからお借りして
 国の政策は多くの人々に影響を及ぼします。
国民は政策に無謬性(間違いがないこと)を
求め、政治家や官僚らには自ずと「間違って
はいけない」とのプレッシャーがかかります。
 政策を遂行する責任を負った当事者の「間違
ってはいけない」の念が「間違えない」=
「間違いを認めない」に置き換わることを
「無謬性の罠」と言います。
 無謬性の罠の陥ってしまうと、都合に合わせ
て現実を解釈したり、間違いを認めず強弁し
たり、失敗したときのことを考えたり議論し
たりしてはいけないとの概念に囚われたりし
ます。
 非寛容な世の中の風潮も上記のようなこと
を助長する一因です。間違いを認めることは、
それまでのことが無駄であったことを認める
ことに他ならず、責任の所在を問われることは
必定で、間違いを認めないという意思決定には
責任回避バイアスも影響します。
今の政治や企業経営、などで舵を取る政治家
や経営者の発言や今行われている政策等には
無謬性の罠を感じさせるものが少なくありま
せん。

少し古い写真ですが、信州の7月の田園






























コメント (2)
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