「いい年をして、山とは変なものに趣味を持ち出したものですねえと、よく人から言われる。
併し、そうした時、大抵私は黙ってにやにやしている。山の魅力というものは、山に登ったことのない者にはとうてい理解して貰えないからである。
涸沢小屋から見た穂高連峰の美しさも、上高地から横尾の出合までの樹林地帯の美しさも、それから稜線に辿りついたときの楽しさも、そこへ足を踏み込んだことのない人には判って貰うことはできない。
私はこれからも何回か山へ登るに違いないが、いつも登る山は穂高に限られていることだろうと思う。変な言い方だが、穂高という山に惚れているからである。穂高以外に、どんな美しい山があっても、どうもこの自分には新しい山に登る気持は起きそうもない。
他の山へ登ると、どこかに穂高に義理の悪いような気持が残りそうな気がする。私の山は、穂高だけである。ただ穂高だけである。」(井上靖/『槍、穂高連峰』より)
穂高の、残雪期登山の幕開けまで、
あと、一ヶ月あまり。
待ちきれない( ゚д゚)・・・
本当に待ちきれない( ゚д゚)・・・渇望( ゚д゚)
本日は、体調が優れないこともありましたが、
家に閉じこもり、ギアの点検、何を持って行くかの道具選びば。
併し、そうした時、大抵私は黙ってにやにやしている。山の魅力というものは、山に登ったことのない者にはとうてい理解して貰えないからである。
涸沢小屋から見た穂高連峰の美しさも、上高地から横尾の出合までの樹林地帯の美しさも、それから稜線に辿りついたときの楽しさも、そこへ足を踏み込んだことのない人には判って貰うことはできない。
私はこれからも何回か山へ登るに違いないが、いつも登る山は穂高に限られていることだろうと思う。変な言い方だが、穂高という山に惚れているからである。穂高以外に、どんな美しい山があっても、どうもこの自分には新しい山に登る気持は起きそうもない。
他の山へ登ると、どこかに穂高に義理の悪いような気持が残りそうな気がする。私の山は、穂高だけである。ただ穂高だけである。」(井上靖/『槍、穂高連峰』より)
穂高の、残雪期登山の幕開けまで、
あと、一ヶ月あまり。
待ちきれない( ゚д゚)・・・
本当に待ちきれない( ゚д゚)・・・渇望( ゚д゚)
本日は、体調が優れないこともありましたが、
家に閉じこもり、ギアの点検、何を持って行くかの道具選びば。
【昨年5月の思い出】