UN大浦のブログ

徒然なるままの手記。
大半が、山と猫様、そして妄想の徒然草。

ゴロゴロ音がもう聞こえない

2017-01-27 21:47:37 | 日記
今朝方、亡くなりました。我が家の猫、です。

もう、ゴロゴロは聞けません。
瞳を開けたまま、硬くなっていました。

彼女は空を越えて共に日本にやってきました。我が家の猫は帰国子女だったのです。
シンガポールで生を受け、まだ生後間もないうちに日本への移住を余儀なくされた彼女。
当時は、機内に持ち込むことにも相当難儀し、
機内でも心的ストレスゆえか、幼いながら、気圧による身体的ストレスゆえか鳴き叫ぶことを止む得ず、他の乗客に多大な迷惑をお掛けしておりました。
「すみません。すみません。」と他の乗客の方に謝っていたことも今となってはいい思い出です。
よくぞ日本まで無事付いてきてくれました。

彼女は家族というよりはむしろ、
数少ない私の友達です。

しばしば、ペットに対し「まるで家族みたい」と称すことは多いですが、
祖父の死に様にさえ一滴の涙さえ出てこなかった私。
その私が、あまりの寂しさに号泣して、雪道の通勤時間である2時間半、車の中で泣きながら出勤したのは、彼女の存在の偉大さから。
家族みたいではなく、家族以上。

致し方ないことです。
掛け替えのない友を失ってしまいました。

半年ほど前から、緑内障のため目も見えず、
水を飲みに行くのすら、ぶつかりながら、ぶつかりながら難儀し、何とか水桶にたどり着きピチャピチャと水を舐める仕草。
毎回泣きそうになりました。

それでも光だけは何とか感知できるのか、この寒空の中、何とか温源を求めて、光のある窓辺に頭をぶつけながら向かっていました。
そのいじらしい姿すらもはや見れません。

猫年齢19歳。人間で言えば、90歳以上。

「お前は、猫又になれよ。まだまだ、まだまだ生きるもんな。妖怪になるもんな。」
と声をかけ続けていた彼女は、
今朝、硬く、
瞳を開けたまま、もう会話ができなくなりました。

昨日の夜、撫でた時にゴロゴロ音がなかったことに一抹の疑念はありました。
疲れているのかな?と。

前兆を見出せなかった。
食べてもらおうと買っておいたカニカマのお菓子。それがもう、無意味に、タンスの上に置き去りにされているのが、
もう食べてもらえないことが、もう無念です。

猫の特性上、彼女は死ねぬときは、どこか行ってしまうのかな、と思っていました。

目が見えないからか、部屋の片隅で、なくなっていました。
おそらく、どこか行きたかったけど、目が見えないから、壁伝いに歩き続けてそのまま亡くなってしまったのか、と。

せめて死に場所を選ばしてあげたかった。

それが、もう。

感動比較

2017-01-15 18:42:16 | 日記
交通はマヒするし、
実生活上のメリットは何もない。

しかしながら、

雪が降るとワクワク感が生まれるのは致し方ありません。たとい、地上という下界であっても。

雪の中歩き続けて、歩き続けて、
青空が見えた時の雪の銀白と真空色のコントラストは美しい。

それが、標高が高いところで自分以外誰も信じられるものがない空間においては尚の事。

金さえ払えば誰でも行ける場所で発生する感動。

誰でも行ける、というわけではない場所において、自然と生み出される感動。

この2点には確固とした隔たりがあります。
どちらも一長一短がありますが。

最悪、「生ゴミ」に至るのみ

2017-01-12 20:27:19 | 日記
1月から2月の間に何としても決行したきこと。

すなわち「厳冬期白山登山」なり。

冬季につき、まずは、道路封鎖がされております。
そのため、車が駐車できるゲート付近〜登山口まで徒歩、もしくはチャリで行くことになるのですが、
その登山口に至るための区間だけで、かかる時間は悠に4時間。

そこから、吊り橋を渡るのですが、
そこは冬季につき、歩行用の板が外されております。
ハリウッド映画さながら、橋の横側の手すりを持ちながら、慎重に慎重に渡る必要があります。
落ちたら、・・・落ちたら、・・・・「生ゴミ」が出来上がります。

そこから、6時間を目安に雪の中をエッチらオッチら山頂へ向けて。
そして当然、そこからまたエッチらオッチら、戻るという。

 雪崩、遭難、熊、落雷、低体温症、死、に気をつけます。

人生、もはや他に楽しみがないので、死んでも特に満足ではあります。

年明けは、太古の神の背に乗って

2017-01-02 17:14:37 | 日記
だらだらと寝正月を送りたいのも素直な気持ち。
しかし、
山に登らないと精神を維持できないのも素直な気持ち。

大晦日にふと思い立ち、
「ガキ使」の放映に後ろ髪を引かれながら、いざ鳥取へ。目指すは伯耆大山。

「一富士二鷹三茄子」といきたいところですが、富士ではありません。

富士を彷彿させる秀麗な円錐は見る者を圧巻します。
太古の民は、山そのものを神と崇めたと言いますが、この男性的な貫禄は、確かに、と言わざるを得ないものがあります。

残念ながら、山頂付近はガスガスのため、6合目ぐらいまでの写真しかまともなものは撮れず。リベンジを誓った一日でした。







百名山、ようやく5座目。
登山の何が一番辛いってアクセスですよね( ゚д゚) 
 →現地まで車、往復で14時間。登山5時間・・・良いお正月を。