UN大浦のブログ

徒然なるままの手記。
大半が、山と猫様、そして妄想の徒然草。

隣家の、「午後」のおじいちゃん

2021-03-06 10:03:06 | 日記
隣家のおじいちゃんが亡くなった。
お子さんが出来なかったからではなく、
元からの優しさ・性質ゆえんか、
田舎暮らしでそもそも同年代の子が少なく、ましてや小学生5年生頃に急遽外国から日本に戻ってきた人見知りの私を、
休みの日に自前のスイカ畑に連れてってくれ、「いくらでも好きなだけスイカ取ってきな!」と言ってくれた事をいまだによく覚えております。
友達が少ない私を気遣ってくれた隣家の優しいおじいちゃん。

小職が大人に成るも、
元来の人見知りの性質というものは劇的に好転する事はなく、
他県から福井県に戻ってきた私がおじいちゃんと交わすのは、
出勤時に会釈する程度。

早起き早寝のおじいちゃんで、
私は毎日5時頃に出勤してますが、
もう家に隣接する畑で作業をしているという働きぶり。
すごいおじいちゃんだなぁ・・・・と毎日思っていました。
人見知りでちゃんと会話は出来ませんでしたが。

そんな隣家のおじいちゃんが、
先日亡くなりました。

午前中の事。

大病を患いながらも、大好きな畑作業や人との交流に勤しんでおりましたが、
時は来て、午前に息を引き取ったそうです。
ご冥福を謹んで申し上げます。

ただ、不思議な現象が。

私は、この日、午後に家に帰って来たのですが、
そのおじいちゃんを家の前で目撃して、会釈したのです。

おじいちゃんは、昔みたいにバリバリ健康的に闊歩しているという訳ではなく、
闘病で弱った足取りではありましたが、
家の前から隣接する畑にゆっくりと歩んでおりました。
そう。
確かにゆっくりと歩んでおり、目も合い、会釈をしたのです。

そして、
自宅に帰ると、母から聞かされた、隣家のおじいちゃん急逝の言葉。
「今朝亡くなった」と。

あぁ、そうか。
という気持ちになりました。

おじいちゃん、畑が好きだったから、
だから、
畑に向かっていたのかな?
でも、
交流は全く深くなく、むしろ全くない、
私にその姿が見えたのは何故なのかな、という思いは残ります。

あの特徴的なおじいちゃん。
親族の方にも、隣家なので無論いつも会ってますが、
見間違いようがありません。
本当に特徴的な歩き方と、存在感。そして顔。

その話を、母・父にすると、困惑の顔。
流石に最期に一目お会いしようとその日中に隣家にお邪魔すると、
そこには確かに、綺麗な顔で「寝ている」おじいちゃんが。

間違いなく、おじいちゃんでした。
「この」おじいちゃんがさっき歩いてました。

失礼とは思いますが、
おじいちゃんの娘さん(昔からお世話になってました)にその話をすると、
「本当??どんな顔してた?何してた?」という話に。

霊感があるとは自負はないですが、
時折、そういったものを見たり、
「ナニカイル」と感じる事があります。

朗らかな家系で、失礼な事をいう私に怒る事なく、
楽しそうに訊いてくれました。色々と。

まだ実感はなく、
いつもの日常と異なるのは、朝の出勤時にもう畑で会釈することは無くなった、という事。

ただ、それだけ。
ただ、悲しい、なんか嬉しい気持ちが溢れるだけ。
人見知りの私ですが、尊敬はしてました。おじいちゃん。