UN大浦のブログ

徒然なるままの手記。
大半が、山と猫様、そして妄想の徒然草。

AHOO(YAHOOではありません)

2015-04-22 20:37:02 | 日記
美女は好きです。しかし京都も好きです。

優艶な雰囲気。
「雅」という言葉がこれほど似合う土地柄も珍しい。

かつて天皇から見限られ、治水工事により反映を取り戻した、という汗臭さなぞ微塵も感じないあの佇まい。
6年ほど居住しておりましたが、彼の地でその間にした「阿呆」な思い出は数知れないすな!!

 
 ・パンピーが安穏と寝静まる刻、鴨川で一人一升瓶片手に月見酒。ゆったーりほのぼの。
 →ゆったーり、警察から職務質問。「いや、迷惑はかけてないよ。」

 ・深夜の叡山電鉄の清掃バイトの帰りに、二輪車で帰る。
 →警察から職務質問。「いや、バイトですから。」

 ・京都コンサートホールにある噴水で卒業生を胴上げして池に落とす。
 →警備員に怒られる、(前に逃げる。)

 ・負けたら○○○をそり落とすという恐怖の■□■□野球。

 ・校庭で焼き芋を焼いて大学事務員に起こられる。「またアメフト部か!」

 ・髪があまりにうざったいから坊主を先輩にお願いしたら、遊びで眉毛もそられる。
 →遊びでモヒカンにされる。
 →モヒカンが似合わないので、完膚なきまでの御髪下ろしに。バイト先の塾長、おかんむり。



 まぁ、「阿呆」を心がけてましたなぁーー 


敬愛する作家「森見 登美彦」氏も言っております。

   「有頂天になることが肝要である」!!
   「おもしろおかしく生きろ」!!


  仏教の教えでは、この世は三界に分類できます。

   1.欲望を持つ者たちが住む欲界、
   2.欲望のない清らかな色界、
   3.物質から離れた精神的世界(無色界)


 有頂天とは本来、
 「3.物質から離れた精神的世界(無色界)」の頂点に達することですので、清らかな行為のはずですが、

 現実に使われているのは、どちらかといえば、「阿呆」な意味で使われることが多々です。

 
 欲望の権化ですが、それがなにか?
    
       すべては、

  「阿呆の血のしからしむるところなり!!」

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