大学時代、友人のAE86のステアリングを握って、
中央高速道路を走っていたとき、
岐阜と長野の県境にある恵那山トンネルを通過しました。
非常に距離の長いトンネルで(約8.5キロ)、
今でこそ日本で何番目かに順位は下がりましたが、
僕が通過した当時は、まだ日本一長いトンネルだったはずです。
トンネルの中の道路は延々と真っ直ぐに続いていて、
カーブやアップダウンがないにもかかわらず、
僕の1.5の視力でも「出口が遠すぎて視認できなかった」ため、思わず、
「うわーっ、長いっ!」
と叫んだのを覚えています。
そして、先の先にあるはずの出口が全然見えない状態がしばらく続いたことで、
(これって本当にいつか出られるの?)
というワケの分からない疑念が湧いてきて、
ちょっと気味が悪くなってきたものでした。
やがて、遠くの遠くの遠くに点のような小さな光が見え、
その光がわずかずつ膨らみ、やがてトンネル出口のカマボコ形になるまでに、
またしばらく時間がかかりました。
そこまで来てようやく(あー、よかった、やっと出られる)と安堵し(笑)、
長い長いトンネルから脱出した後は、
なんとも言えない爽快感に包まれました。
おそらく、長時間続いた閉塞状況から解放された喜びと、
珍しいことを体験し、クリアできたときの「征服感」のようなものが、
心を満たしていたのでしょう。
最近は知らないところへ出かける機会がめっきり少なくなったので、
あのときのような新鮮な喜びを、長い間味わっていないような気がします。
またいつか時間を見つけて、初めての道路を探検してみたいものです。
中央高速道路を走っていたとき、
岐阜と長野の県境にある恵那山トンネルを通過しました。
非常に距離の長いトンネルで(約8.5キロ)、
今でこそ日本で何番目かに順位は下がりましたが、
僕が通過した当時は、まだ日本一長いトンネルだったはずです。
トンネルの中の道路は延々と真っ直ぐに続いていて、
カーブやアップダウンがないにもかかわらず、
僕の1.5の視力でも「出口が遠すぎて視認できなかった」ため、思わず、
「うわーっ、長いっ!」
と叫んだのを覚えています。
そして、先の先にあるはずの出口が全然見えない状態がしばらく続いたことで、
(これって本当にいつか出られるの?)
というワケの分からない疑念が湧いてきて、
ちょっと気味が悪くなってきたものでした。
やがて、遠くの遠くの遠くに点のような小さな光が見え、
その光がわずかずつ膨らみ、やがてトンネル出口のカマボコ形になるまでに、
またしばらく時間がかかりました。
そこまで来てようやく(あー、よかった、やっと出られる)と安堵し(笑)、
長い長いトンネルから脱出した後は、
なんとも言えない爽快感に包まれました。
おそらく、長時間続いた閉塞状況から解放された喜びと、
珍しいことを体験し、クリアできたときの「征服感」のようなものが、
心を満たしていたのでしょう。
最近は知らないところへ出かける機会がめっきり少なくなったので、
あのときのような新鮮な喜びを、長い間味わっていないような気がします。
またいつか時間を見つけて、初めての道路を探検してみたいものです。