科学者や技術者の海外流出の背景には (連下 恵一) 2014-10-08 09:02:36 理系人間が成果の価値を発信して売り込む「文系力」の不足、文系人間が理系の成果を自ら評価する「理系力」の欠乏があるのではないでしょうか。10月4日付でBoD先生が「日本が弱いのは文系力」と指摘されたのに同意致します。
ノーベル物理学賞を受賞した中村修二さんがより具体的に指摘されている。
中村修二教授「開発が偉大でも市場で勝てない」
読売新聞 10月8日(水)18時49分配信
グルノーブル(仏南東部)=石黒穣、サンタバーバラ(米カリフォルニア州)=中島達雄】ノーベル物理学賞の受賞が決まった名古屋大学の天野浩教授(54)、米カリフォルニア大学サンタバーバラ校の中村修二教授(60)の記者会見は以下の通り。
◆中村氏◆
――(冒頭発言)
私はこれまでの人生で多くの方々に助けられてきて、とても幸運だ。最初のきっかけは、日亜化学工業の社長だった小川信雄氏が、青色LED開発という私のギャンブルを支持してくれたことだ。カリフォルニア大サンタバーバラ校のヘンリー・ヤン学長の支援にも感謝している。
1993年に高輝度青色LEDの実用化に成功した後、研究活動が爆発的に進展した。多くの研究者がLEDの分野に参入し、携帯電話やテレビ、照明などあらゆる応用に取り組んだ。
――受賞の知らせを受けた時は、何をしていたか。
眠っていた。少し神経質になっていたので、30%は寝ていたが、70%は神経が高ぶっていた。
――照明がないような発展途上国で、LEDの技術はどう使われているか。
アフリカの一部のように電力がない国々では、太陽電池を充電し、夜間、LEDで照明を使うことができる。このため、発展途上国で非常に人気が高い。
――LEDの研究を始めた当時、今のような状況を想像したか。
まったく想像しなかった。勤めていた会社で10年間にわたって赤色LEDを開発したが、既に大手の会社が製造していたので、販売成績は悪かった。会社が私にキレて、私もキレた。そこで私は社長室に行き、青色LEDを開発したいと直談判した。すると、社長はこう言った。「オーケー。やっていい」。それまで会社は研究開発費を出してくれなかったが、社長に500万ドル必要だと言うと、彼はそれもオーケーだと言った。
当時、私は海外に出たことがなかったので、海外に行きたかった。そこで、社長に青色LEDを開発するには、フロリダ大学で学ぶ必要があると言った。1年間留学し、帰国して青色LEDの開発に取り組んだ。
――日本の多くの教授が海外での研究を目指し、頭脳流出ではないのか。
米国は研究者にとって、多くの自由がある。必死で努力すれば、誰でもアメリカンドリームを手にするチャンスがある。日本ではそのチャンスはない。年齢による差別、セクハラ、健康問題での差別があり、米国のような本物の自由がない。
日本では大企業のサラリーマンになるしかない。企業が大きな事業をやっていても、社員は平均的なサラリーマンだ。米国では、何でも好きにやれる。
――今回の受賞が日本にとって持つ意味は。
3人のノーベル賞受賞者が出るというのは、日本にとって躍進だと思う。ただ、日本で開発が行われても、日本企業はグローバル化で問題を抱えている。開発が偉大でも、市場では勝てない。携帯電話技術や太陽電池で、日本の製品は当初、非常に優れていた。しかし、グローバル化に失敗した。LEDも同じだ。日本で開発されたが、すべての市場を失っている。
――現在、何に取り組んでいるのか。
LEDの効率を高めることに取り組んでいる。
最終更新:10月8日(水)18時49分
ノーベル賞、勝因は「怒り」=日本企業に苦言も―中村さん
時事通信 10月8日(水)8時45分配信
【サンタバーバラ(米カリフォルニア州)時事】青色発光ダイオード(LED)の開発でノーベル物理学賞の受賞が決まった米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授の中村修二さん(60)は7日、同校で記者会見し、「怒りがすべてのモチベーションだった。怒りがなければ何も成し遂げられなかった」と研究生活を振り返った。
会見には各国メディアや大学関係者ら約200人が出席。「研究当初は受賞を予想していたか」との質問に対し、中村さんは「(日亜化学工業の社員時代に)フロリダ大に留学した時は、青色LEDの開発ではなく、博士号を取るのが夢だった」と笑いを誘った。
中村さんが1993年に青色LEDの量産技術を開発したことをきっかけに、各方面でLED実用化に向けた動きが加速。「多くの研究者が加わり、スーパーでもLEDランプが買える時代になった」と誇らしげに語る。LED分野の当面の研究課題として、5割にとどまっている電力から光への変換効率を、6割に向上させることに意欲を見せた。
日本の研究環境や企業に対する「毒舌」も健在。米国を研究拠点に選んだ理由について「研究者に多くの自由が与えられ、一生懸命やれば、みんなにチャンスがある」と語る一方、「日本では性別や年齢などの差別により、全員にチャンスがあるわけではない」と残念がった。
さらに「日本では発明は多いが、企業がグローバリゼーション(世界的な拡大)が苦手。携帯電話など最初は良い製品を作っても敗北している」と指摘。「誰もが起業できるよう規制やシステムを見直すべきだ」と日本政府に注文した。
ノーベル物理学賞を受賞した中村修二さんがより具体的に指摘されている。
中村修二教授「開発が偉大でも市場で勝てない」
読売新聞 10月8日(水)18時49分配信
グルノーブル(仏南東部)=石黒穣、サンタバーバラ(米カリフォルニア州)=中島達雄】ノーベル物理学賞の受賞が決まった名古屋大学の天野浩教授(54)、米カリフォルニア大学サンタバーバラ校の中村修二教授(60)の記者会見は以下の通り。
◆中村氏◆
――(冒頭発言)
私はこれまでの人生で多くの方々に助けられてきて、とても幸運だ。最初のきっかけは、日亜化学工業の社長だった小川信雄氏が、青色LED開発という私のギャンブルを支持してくれたことだ。カリフォルニア大サンタバーバラ校のヘンリー・ヤン学長の支援にも感謝している。
1993年に高輝度青色LEDの実用化に成功した後、研究活動が爆発的に進展した。多くの研究者がLEDの分野に参入し、携帯電話やテレビ、照明などあらゆる応用に取り組んだ。
――受賞の知らせを受けた時は、何をしていたか。
眠っていた。少し神経質になっていたので、30%は寝ていたが、70%は神経が高ぶっていた。
――照明がないような発展途上国で、LEDの技術はどう使われているか。
アフリカの一部のように電力がない国々では、太陽電池を充電し、夜間、LEDで照明を使うことができる。このため、発展途上国で非常に人気が高い。
――LEDの研究を始めた当時、今のような状況を想像したか。
まったく想像しなかった。勤めていた会社で10年間にわたって赤色LEDを開発したが、既に大手の会社が製造していたので、販売成績は悪かった。会社が私にキレて、私もキレた。そこで私は社長室に行き、青色LEDを開発したいと直談判した。すると、社長はこう言った。「オーケー。やっていい」。それまで会社は研究開発費を出してくれなかったが、社長に500万ドル必要だと言うと、彼はそれもオーケーだと言った。
当時、私は海外に出たことがなかったので、海外に行きたかった。そこで、社長に青色LEDを開発するには、フロリダ大学で学ぶ必要があると言った。1年間留学し、帰国して青色LEDの開発に取り組んだ。
――日本の多くの教授が海外での研究を目指し、頭脳流出ではないのか。
米国は研究者にとって、多くの自由がある。必死で努力すれば、誰でもアメリカンドリームを手にするチャンスがある。日本ではそのチャンスはない。年齢による差別、セクハラ、健康問題での差別があり、米国のような本物の自由がない。
日本では大企業のサラリーマンになるしかない。企業が大きな事業をやっていても、社員は平均的なサラリーマンだ。米国では、何でも好きにやれる。
――今回の受賞が日本にとって持つ意味は。
3人のノーベル賞受賞者が出るというのは、日本にとって躍進だと思う。ただ、日本で開発が行われても、日本企業はグローバル化で問題を抱えている。開発が偉大でも、市場では勝てない。携帯電話技術や太陽電池で、日本の製品は当初、非常に優れていた。しかし、グローバル化に失敗した。LEDも同じだ。日本で開発されたが、すべての市場を失っている。
――現在、何に取り組んでいるのか。
LEDの効率を高めることに取り組んでいる。
最終更新:10月8日(水)18時49分
ノーベル賞、勝因は「怒り」=日本企業に苦言も―中村さん
時事通信 10月8日(水)8時45分配信
【サンタバーバラ(米カリフォルニア州)時事】青色発光ダイオード(LED)の開発でノーベル物理学賞の受賞が決まった米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授の中村修二さん(60)は7日、同校で記者会見し、「怒りがすべてのモチベーションだった。怒りがなければ何も成し遂げられなかった」と研究生活を振り返った。
会見には各国メディアや大学関係者ら約200人が出席。「研究当初は受賞を予想していたか」との質問に対し、中村さんは「(日亜化学工業の社員時代に)フロリダ大に留学した時は、青色LEDの開発ではなく、博士号を取るのが夢だった」と笑いを誘った。
中村さんが1993年に青色LEDの量産技術を開発したことをきっかけに、各方面でLED実用化に向けた動きが加速。「多くの研究者が加わり、スーパーでもLEDランプが買える時代になった」と誇らしげに語る。LED分野の当面の研究課題として、5割にとどまっている電力から光への変換効率を、6割に向上させることに意欲を見せた。
日本の研究環境や企業に対する「毒舌」も健在。米国を研究拠点に選んだ理由について「研究者に多くの自由が与えられ、一生懸命やれば、みんなにチャンスがある」と語る一方、「日本では性別や年齢などの差別により、全員にチャンスがあるわけではない」と残念がった。
さらに「日本では発明は多いが、企業がグローバリゼーション(世界的な拡大)が苦手。携帯電話など最初は良い製品を作っても敗北している」と指摘。「誰もが起業できるよう規制やシステムを見直すべきだ」と日本政府に注文した。