昨夜の地震・・・・本当に驚いた方も沢山いらっしゃると思います。
被災された方々・・・お怪我された方々・・・一日でも早く安心できるような毎日にもどれますようお祈り申し上げます。
遠くの空から・・・・ご協力させていただきます。
昨夜の地震・・・・本当に驚いた方も沢山いらっしゃると思います。
被災された方々・・・お怪我された方々・・・一日でも早く安心できるような毎日にもどれますようお祈り申し上げます。
遠くの空から・・・・ご協力させていただきます。
どんな時代にも「異端児」「革命児」・・といった「常識にとらわれない思考」をもつ人達がたくさんいらっしゃいます。
その「非常識な言動」が・・・実は・・・・「世の中に必要なこと」「人のために必要なこと」が時にあるでしょう・・・。
有名な話では「エジソン」ですね・・・・数え切れない失敗の繰り返しから生まれた「灯」。失敗を繰り返している間は周囲から「変人扱い」されていたという話を耳にしたことがあります。
「チェ・ゲバラ」も有名な革命した人物の1人ですね。結果「死」という運命に繋がりましたが・・・その「意志」を継いできた人々がいたから今の国があったりとか・・・・・。
「あえて・・・茨の中に・・・飛び込む」・・・・・とても勇気のいることでありますが・・・誰かがそれをやらないと・・・「道なき道に・・・道が出来ない」んですよね・・・・。
なぜ・・・そこに飛び込む人々が・・・いるのかというと・・・・・・「本気で何かを伝えたい・・・残したい・・・つなげたい」という思いだけだと感じます・・・・。
ある黒人のピアニストの運転手をしてきた白人男性のお話・・・・・「人種差別」という思考から「暴力」や「蔑まれた眼差し」を味わいながらも・・「友情」までに変わっていくお話があります。
「正しさ」とは何かわからなくなることもあるでしょう・・・・・・・
けれど・・・
「優しさ」は・・・・・全ての生き物に・・・通じる「最高の通信手段」と思ってます。
追伸
天才とは・・・・・・「人より少しだけ自分に厳しく・・・人より少しだけ努力して・・・その姿をみて支え助けてくれた人の数が・・・人より少しだけ多い・・・人のこと・・・・その少しだけは人によって違うものでもある・・・そして・・・・天才は・・・・自分を・・・間違いなく・・・天才とは思っていない・・・・周囲がただ・・・そう思っているだけである」
=「不幸せ」は人によって様々なものですから一概に「何が不幸せ」なのかは同じではないですよね。
けれど「見え方」「聞き方」「捉え方」では「不幸せ」と思う事が「幸せ」にかわることも実は多くあるのも僕自身経験しております。
結局は・・・「自分自身のこころ」に答えはゆだねられる・・・・ということな訳で・・・・。
解決方法としては「時間」であったり「言葉」であったり・・・「ふれあい」や「ぬくもり」や・・・・時に「叱咤激励」・・・「お金」もそうですし・・・・「同情」や「共感」や・・・・・その「選択次第」でまたまた色々な「解決方法」が変わったり・・・・。
「人のために一生懸命になれる自分でありたい」
見かたを変えれば・・・・昔よくいた「おせっかいのおじさん」(笑)が・・・僕が「幸せ」と感じることのひとつ。
「皆さんで使ってください」・・・と「新しいランドセル」が様々な場所や地域へ届いているやさしい出来事・・・名前は「伊達直人」・・・・誰なんでしょうね・・・。
誰から「学ぶ(まねぶ)」は・・・自身のこころが選択するもの・・・・・
・・・・薔薇は自分が薔薇という名前と知らずに自然に咲いている・・・薔薇と思っているのはその薔薇を見ている者だけ・・・薔薇は薔薇と思われようが思われなくても・・・薔薇は咲く・・・・
そして薔薇の「棘」を「棘」と見ているのも薔薇の「棘」を見ている者たちだけ・・・・・
バラは・・・自分の棘を・・・・棘とは思っていないんじゃないかなぁ~(笑)
障がい者施設に勤務する先生と繋がることが出来ました。
「支援方法」はもちろん「介護施設での支援」とは違うのは理解しておりましたが同じ「視点」「感性」「思い」「取り組む姿勢」等は「思考」がやはりあり、「共感」出来る部分が多々あることに気づかせていただきました。
僕はその先生に「人として」という思いを話し・・・・先生は僕に「細かな小さな支援の積み重ね」を話してくれました。
その「細かな小さな支援の積み重ね」が「介護施設」にはない「細かさ」で、その「積み重ね」で本人達が学んでいくのですが・・・・・以前ブログで書かせて頂いたかもしれませんが・・・まさに・・・・。
「まねぶ(真似ぶ)」からの・・・・・「学ぶ」になり・・・・「何度も繰り返し」からの・・・・・「理解と喜びと達成感」に変わるようです。
そこまで「辿り着く」「プロセス」は・・・介護施設より「繊細」な支援なんだと感じましたね。
そんな・・・他業種からの言葉に感謝です。
今まで・・・「生きてきた時間」の中で自分自身が「幸せ」と感じた「物事」を思い出しながら数えてみた・・・・・
「忘れ去られた幸せ」もあれば・・・・・・
「忘れられない不幸せ」もあった・・・・・
反対に「残された人生」の中で「いくつ幸せ」と感じる物事を作れるのだろうと「思い描いて」みた・・・・・・
いまが・・・「幸せ」と思えない自分自身が居たのなら・・・それは大きな「不幸せ」と気づいた・・・・
「病気」はあるが生きている・・・・
「治らない病気」なのかもしれないけれど・・・生きている・・・
「生きている意味」に気づいたら・・・素直に生きればいい
瞬間を大切に・・・素直に感じればいい・・・・・・
~令和元年 6月11日 約束の地からの独り言~
「大丈夫です・・・・あなたには最高の未来が用意されています・・・・今はそう思えないかもしれませんが・・・・」
「見える幸せ」と「見えない幸せ」が世の中にはたくさんあります・・・・・
あなたのこころは・・・・どちらを求め・・・どちらを選び・・・どちらに幸せを感じますか?
追伸
数日・・・ブログお休みいたします・・・・・・・・・次回投稿予定は15日♪
・・・・一粒の砂にも世界がある・・・・・
・・・・・一粒の涙にも意味がある・・・・
・・・まだ・・・見えていない無数にある世界・・・・・・一度・・・自分の概念を解き放ち・・・良いも悪いも好きも嫌いも幸も不幸も利益も不利益も・・・喜怒哀楽にとらわれず・・・感情、感性、感覚に任せ「心の羅針盤」が示す方向へ素直に歩いていくと・・・・必然とめぐり合える「存在」に出会えることがある・・・・それを僕の中では「必然的な縁」と呼びます。
時に・・・「謙虚」・・・・時に「勇気」・・・・時に「素直」・・・・いまこの瞬間に起きること全ては・・・自分自身で選んだ結果の当り前の出来事・・・・
誰のせいでもなく・・・・・・周囲のせいでもなく・・・・環境のせいでもなく・・・・・
小さな世界から全て「自己選択」した・・・・ごく普通に起こる出来事・・・。
だから・・・・素直に受け止めなければ・・・・次に進むべき道しるべを「こころの羅針盤」は示さない・・・。
生きるのが難しくなる時代・・・・・・これまで生きてこられたのは・・・・自分だけの力だけじゃなく回りに助けられて生きてこられたことが多いでしょうが・・・・・・時に「自分に優しく」してあげることもとても大切な事。
ずっとその年齢まで「一緒に苦楽をともにしたたった一人の理解者」なのだから。
ずっとその年齢まで「一緒に戦った戦友なのだから」
以前のブログの「幼少期」・・・その中の③の「家では常に一人ぼっちでいたこと」に関して少しお話を・・・。
物心ついたときから両親は「昼も夜」も働いていました。どこかのブログで書いたことがあるのかもしれませんがこの頃の「記憶」には「親と食事をした記憶」いわゆる「一家団欒」という記憶が僕には無いんです。
きっと沢山の方にもお、さまざまな理由から「同じ環境」や「似たような雰囲気」をお持ちのかたもいらっしゃるかと。
その中での「鮮明に残っている記憶」・・・いわゆる「トラウマ」というもの・・・・。
確か小学生低学年のころだと・・・夜中に「何台もの消防車のサイレン」が鳴り響き僕のアパートの近くで「大きな火災」がありました。近所の人の騒ぐ声と「逃げたほうがいい」だとか・・・「子供が泣き出す声」だとか・・・「救急車・パトカー」だとか・・・・田舎だったものですから「野次馬」が「言いたいこと言っている声」だとか・・・・・・。
そんな僕は1人で家に・・・その音で「怖くなり」「不安」になり「泣き始めたり」と・・・いまでもあの光景と景色と「燃えている家と夜空が赤くなっていたことと、煙と音」はわすれないでしょう。
「1人で押入れの布団の中で隠れていたあの空間と時間」
あとから聞いた話ですが・・・両親は情報を聞いて急いで帰ってきてる途中「野次馬が向かう方向と燃えている方向が自分家の方向だったものだから半分あきらめていた」ようでした。
「何から学んだ」かというと・・・・ある意味「幼少期の自分」なんでしょうね
この時の「出来事」から「形成」されたであろう「性格」や「孤独感」や「周囲の大人達のあり方」や「やさしさ」や「守るもの」や・・・人間特有の「瞬間に出る本能」というものや。
時に今起きている現実に「怯え」「不安」「絶望」等を抱える瞬間もあれば・・・そこに小さな「希望」「夢」「祈り」「願い」を同時に心へと芽生えさせる瞬間もある・・・・。
「誰にもいえない過去」・・・・・・人には必ずある・・・・。けれど・・・押さえ込める「感情」を「失った」時・・・・・・その姿を目にした時・・・・・・・・優しい眼差しで・・・・・手を差し伸べられることができるのでしょうか・・・・・。
僕が・・・僕であるために・・・・・立ち続けなければならない・・・・
いつも夜勤をされている「介護職員」「病棟看護師」の皆さん・・・お疲れ様です。
何が起こるかわからない1人きりの夜勤・・・・・本当に不安や睡魔との闘いもあれば・・・慣れからくる「思い込み」で転倒や事故に繋がり慌てたり・・・・経験者のみが知る「夜中の出来事」・・・・・昼にはない「夜の顔」・・・とでも言うのでしょうかね(笑)
そんな僕自身の「経験談」と「さまざまな事例」をご紹介
いくつかは以前のブログに書かれていますが今回は・・・・・「火災」に関してのお話を少し・・・・・・。
今まで「火災」に関するもので一番凄かったのは・・・・・過去の話なんですが「認知症と言う病気」をお持ちの女性入居者さんが「消火器」「噴射」させたときでしたね~(笑)
「聞いたことのない音」のあとに振り向いたそこには「走り出している女性入居者」と「ピンク色の粉と言うか煙」が・・・・・・・・気づけばピンク色の霧の中にまぎれこんでしまったくらい施設内はそんな雰囲気で・・・・・・。
「何が起こるかわからない介護の世界」や「病院の世界」
「病気」というものばかり中心において「その方の言動」をみて「その方の状態を判断」するのは「危険」に繋がる場合も時にはありますよね。
「理解できない」=「あなたの問いかけ方で理解したくなにのでは?」
「聴こえていない」=「あなたの声かけでは聞きたくないのでは?」
「怒り、暴れる」=「あなた達が暴力的、又は威嚇的言動または感情」を感じさせているのでは?
「認知症」という病気をお持ちの方に「認知症支援方法」というマニュアルはありません。なぜならば・・・・・一人ひとり生きてきた道が違うのだから同じなわけがないのが「当り前」という考えをまずもたなければ間違いなく「その方の支援の先にある道」に迷いが出始めるはずです。
まずは・・・・・・問いかけてみませんか?・・・・そのかたのこころにある小さな独り言に・・・・・・・・。
親父が亡くなって早いもので、もう少しで半年がたとうとしてます。
残された母親にも「色々な変化」が見られ「良い変化」もあれば・・・・「悪い変化」も見られますが・・それなりに親子で奮闘中であります(笑)
食事は以前より増して食べなくなり半年でかなり痩せまして・・・ただ季節からなのか外に少しではありますが出ることもあり・・・・ただこの間・・・朝の5時30分に外に出行方不明??(笑)になったのは良くも悪くも・・・・結果・・・・家の裏にいたんですが・・・それにはきちんと理由があるんですよ。
親父の部屋のベッドに座り・・・親父と同じように窓から外を眺めることが多くなってきたものですから・・・「何かないものかなぁ・・・」と考えた結果・・・「裏庭に野鳥を呼び込もう」と。
たしか以前のブログに「鳥が飼いたいから」とかで書いたかもしれませんが(笑)
餌まきしてから数日後・・・・野鳥が・・・・くるようになり・・・今では色々な鳥が来るようで(母親いわく)・・餌がなくなるのがはやいのと・・・・餌箱の位置がずれているのと・・・・飾った花が見えずらいとかで気になったんでしょうね。
いつも親父の写真も窓の外にむけて一緒に眺めているから余計に見やすい方法を考えたんだと思います。
そして母親の「習慣」で「他人が植えた花の位置とか気に入らないと、自分の感性のまま植えなおす」という言動がずっと昔からありまして、今回は「僕の花の植え方と位置」が感性にそぐわなかったんでしょうね(笑)
だからそれを「直す」ことが理由であって、たまたま「早起き」して「調子がよかった」からのようでした。
確かにその夜は「夕食」普段より食べてたなぁ・・・・・から揚げ食ってたもんな・・・・のり巻きといなりも・・・。
悪い変化では・・・・・夜やトイレに行く際や・・・親父と同じように「倒れる」回数が増えました・・・・・・。体重が「軽い」せいもあり親父のときとは「音」が違い気づけないときもありました・・・。
だからいつもおもってます・・・・・「仕事から帰ってきたら玄関で死んでるかもな・・・・・」
母親も親父と同じようで・・・・病院では死にたくないようで家で死にたいようです・・。
賛否両論かもしれませんが・・・・・「残された者の気持ち」と「亡くなる本人の意思」が同じ方向であれば・・・自然な生き方が一番よいと最近は感じております・・・。
僕が同じ立場なら「自然な死に方」をきっと選ぶと・・・・・だから・・・・いつも思うんです・・・・「月が綺麗ですね」ってね(笑)