ひとりよがり。

日々のことや思い出などを書きます。
個人的な覚え書き、日記のようなブログです。

海岸でのテント張り。

2022-06-14 19:48:00 | カヤック
「知床エクスペディション」では
ペグは不要だった。

テントを張る海岸は
砂浜ではなくて
石がゴロゴロした海岸だったので。




Oさんに
テントの留め方を教えてもらった。

今回は
強風でポールが折れることもなく
テントが飛ばされることもなく
雨も降らなかったので 
幸運だったと思う。

テントで寝る時は
マットの下に
漁師合羽上下を敷いた。
漁師合羽は
結構分厚いので
石のゴロゴロが緩和されて
とても助かった。

写真はペキンノ鼻の海岸で
石は小さめだった。

次に泊まった落合湾はもっと大きな石、
赤石の海岸は丸い石の他に尖った石もあった。

そして
スタッフのメンバーが寝るタープは
とてもシンプルだった。







いつも必ず一番後ろ。

2022-06-14 16:51:00 | カヤック
カヤックは全部で7艇。
ダンデム(二人乗り)3艇
シングル(一人乗り)4艇。

カヤックの割り振りを決める時
私はシングル艇で漕ぎたい希望を伝えた。

私はいつも最後尾で漕いでいた。
時々、
皆が私の到着を待ってくれていた。
やっと私が追いついて
そこからは
皆よりも前で漕ぐのに
いつのまにか最後尾になった。

6/8 
向かい風で
なかなか皆に追いつかず
途中でダンデム艇に乗り換えるように
指示された。
私は初めて二人乗りのカヤックの前で漕いだけれど
後ろで漕ぐのは
私の息子よりも若い若者。
彼はガンガン漕いで
カヤックはグングン進んだ。
私のパドルは
海水を全くキャッチしない。
それでも
彼の屈強な漕ぎのおかげで
カヤックはグングン進んだ。


その夜
私は迷ったけれど、
「できるならば明日はシングル艇で漕ぎたい」スタッフに伝えた。
力強く漕ぐこともできないのに、
そして
ツアーの事情(天候の変化など)があるかもしれないのに
わがままな希望だったかもしれないが、
自分の力で漕ぎたい気持ちが
強かったので、
気持ちだけは伝えた。

最終日は
事情がゆるされて
シングル艇で漕ぐことができて
よかったと思う。





知床旅情。

2022-06-14 15:31:00 | カヤック
6/5朝早くに
知床旅情の詞を書いた模造紙と
ギターを持って
新谷さんのお知り合いが
訪ねて来た。

そして
皆で
知床旅情を歌った。
知床旅情は
なぜか泣ける。


知床旅情

知床の岬にハマナスが咲く頃
思い出しておくれ
俺たちのことを
飲んで騒いで丘に登れば
はるか国後に白夜が明ける

旅の情けか酔うほどにさまよい
浜に出てみれば月は照る波の上
今宵こそ君を抱きしめんと
岩影によればピリカが笑う

別れの日は来たラウスの村にも  
君は出て行く峠を越えて
忘れちゃいやだよ気まぐれカラスさん
私を泣かすな白いカモメよ
白いカモメよ

      作詞作曲:森繁久彌




ペキンノ鼻の鳥居のペンキ塗りのこと。

2022-06-14 12:12:00 | カヤック
ペキンノ鼻は知床半島の先端から
8キロくらい羅臼寄りにある岬。
相泊から10キロくらい。

ペキンノ鼻のてっぺんに
鳥居がある。
目の前の海の向こうに
国後島が見えるはずだけれど
今回は見えなかった。

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その鳥居のペンキを
新谷さんとスタッフのIさんが
塗った。



3色のペンキを調合して
とてもきれいな色を作り
ペキンノ鼻の鳥居は
生まれ変わった。


ご飯の炊き方

2022-06-14 07:24:00 | カヤック
「お米は海水で研ぎ、水で炊く」と
新谷さんの本に書いてあった。

今回、
スタッフの人がお米を研ぐ場面を見ることができなかったが
新谷さんが
夕食の準備を始めるのは
たいてい3時過ぎなので
その前にお米を研いでいたのだと思う。

夕食作りの時
新谷さんは焚き火の前の椅子に座り
とても真剣だった。

ご飯を炊くタイミングは
おかずとの兼ね合いもあって
新谷さんの頭の中で
スケジュールを決めるのだと思う。

ご飯の炊き方の重要なポイントは
火にかけてから沸騰するまで
4、5回は蓋を開けて
ヘラでかき混ぜること。
「赤子が泣いても蓋取るな」ではない。
必ず蓋を開けてかき混ぜる。

そして
鍋の中が地獄の窯状態になったら
焚き火の木をならして
炭の上に直に鍋を置く。
このことが「オキビ」というのだと思う。

オキビは
炎がみえなくても
火の力は強いようだった。
新谷さんは
圧力をかけるため石を蓋の上に置いた。



お米一粒一粒に芯まで充分に
水分が行き渡り
火が通り、
ふっくらしたご飯に
するためには
このオキビの状態も
とても重要な場面だと思った。

一行は10人。
お米は一度に12合炊くとのことだった。
ステンレスの大きなお鍋は
薬缶と同様に
カヤックの後ろに積まれて
何度も何度も知床の海を
行き来してきた貫禄のあるお鍋だった。


海岸の焚き火で
新谷さんの炊いたご飯は
本当においしかった。