百姓通信

自然と素直に向き合い、全身で風を感じて私は百姓しています。
①土づくり②循環型③無農薬・無化学肥料④永続性を大切に!

岩波ホール

2022-02-23 20:41:22 | Weblog

「岩波ホール」
東京都千代田区の岩波神保町ビル内にある映画館。1968年にミニシアターとして草分けとしてオープンした。定員220名で、日本で初めて各回完全入れ替え制定員制を採用、上映作品は、文化的に質の高い作品を厳選し、日本では上映される機会の少ない、アジア、アフリカ、中南米など欧米以外の国々の作品も数多く取り上げてきた。
しかしこの時代、なかなかこの赤字部門を維持できないという理由でこの夏に閉館を決断されたという。
岩波ホールではこれまでに65か国の271作品を上映してきた、「客が入らないからと言って打ち切らない。命懸けで作っている人もいるのだから」と消費されていく昨今の文化の状況に抗って映画人を守ってこられた。
今回公式ホームページで「54年間の長きにわたり、ご愛顧、ご支援を賜りました映画ファンの皆様、関係者の皆様に心より御礼申し上げます」とコメントされ、今一度、ミニシアターのあり方、多様な文化の維持の手法に問題点を提示された。

愛宕山

2022-02-23 20:41:12 | Weblog

「愛宕山」は、「火伏の神様」
3歳までに登ると、一生火難に遭わないという言い伝えがあり、千日詣りでは小さな子を背負って登る親の姿が、伝統を重んじる京都人の心を感じる光景だと言える。
「伊勢へ七度 熊野へ三度 愛宕さまへは月参り」と一般的に言われている。

その昔、愛宕山に「愛宕山白雲寺(あたごさんはくうんじ)」を創建させ、神仏習合の聖地としての地位が確立していた。
しかし、明治時代に入ると今度は逆に神道と仏教を明確に区別する「神仏分離」が行われ、前身の白雲寺は取り壊されて愛宕神社に一本化されることになる。

火の神と関わりが深いことから、愛宕神社はやがて「火伏せ(防火、火除け)」の神様として親しまれるようになり、京都の愛宕神社でもらえる「火迺要慎(ひのようじん)」と書かれたお札は、京都の家庭のキッチンには必ず貼ってあるというほど馴染み深いものになっている。

立春

2022-02-23 20:40:31 | Weblog
「立春」
  なのになかなかの寒空
「立春」
  なのになかなかそういう気分にはなれない
「立春」
  といえば,「春の始まり」や「新しい年の始まり」のこと
  しかし旧正月とは異なり、「旧暦の正月」は「旧暦の1月1日」を表す
「立春」
  そうそう、今日は「北京五輪の開幕式」
  五輪を行う一方で、軍事行動を行うきな臭さがある昨今
「立春」
  厳寒の中、生命の息吹を感じる
「立春」
  頭ではなく身体、全身で感じたい

自分は何者か

2022-02-23 20:40:16 | Weblog
「自分は何者か?」
との問いかけは哲学的だ

平昌五輪スピードスケート女子500メートル金メダリスト小平奈緒(35=相沢病院)が以前会見で「東京五輪で柔道男子73キロ級を連覇した大野将平に感銘を受けた」といい「『自分が何者なのか証明するために戦うことができた』という言葉を聞いて、それを表現する舞台が4年に1度の五輪なんだと感じた」と語った。

「自分は何者か?」

常に問いかけていたいものだ。

戦争

2022-02-23 20:38:12 | Weblog
南北戦争
太平洋戦争
ベトナム戦争
沢山の犠牲者を生んだ「戦争」は、
経済を活性化するという。
戦争は、人的・物的・経済的に膨大な人員・資金を必要とし、周辺国や関連国は経済が活性化する事は過去の事例が証明している。
アメリカは軍産複合体と言えるほど、軍事と産業ががっちり手結んでおり、そのことで、何百万人もの雇用を生み出し、基地や軍事工場のある地元の経済が潤い、退職した軍人(主に、退役した佐官・尉官クラス)には軍にいたころよりも何倍もの収入が稼げるハリバートンやKBIなどの軍事関連会社に天下るといった甘い汁があると言われ、「戦争」を待っている「戦争」に期待している人達も多いという。

ロマンロラン

2022-02-23 20:38:04 | Weblog






ロマンロランの言葉に「人は幸せになるために生きているのではない。自分の運命を全うするために生きているのです」(ジャンクリストフより)というのがある。
「幸せ」は人によって異なる。
「ちっぽけな幸せ」と言われようが、自らが「幸せ」だと思えば、他人になんと言われようがあまり関係はない。
「なぜ生きる?」と言われると、
明確に答えられない時がある。それはうまくいっている時とうまくいっていない時、どうすれば良いのか悩みがある時などに迷いがある。「生きる目的」に関していうとあまり迷いはない。座右の銘が「忘己利他」である限り、「他人のために、生きたい」「死ぬまで生きたい」と常に思っている。
「自分の運命」と言われると、毎日を一生懸命歩むしかなく、真摯に何事にも臨む姿があるべき姿だと思う。
昔「僧侶になりたい」と思ったことがあったが、最近は実は僧侶にわざわざなる必要はなく「毎日が修行」と思えば、どんな仕事でも同じで何事にも「一生懸命取り組み」「日々精進」できれば願ったり叶ったりだ。