百姓通信

自然と素直に向き合い、全身で風を感じて私は百姓しています。
①土づくり②循環型③無農薬・無化学肥料④永続性を大切に!

備蓄米100万t積み増し

2007-10-27 21:20:56 | 農業
米価の下落対策として、余剰米を34万tを年内に買い入れ、備蓄米を100万t積み増すことに決定・・・。備蓄することで、米価を維持するというのが、政府の考え方であり、この決定に拍手をする百姓もいるが、本当にこういう政策でいいのだろうか。
少し考えればわかる通り、ただ単に市場の原理を税金で歪めただけに過ぎず、今回の政策は抜本的な対策でもなんでもない。政府は集約化、大型化を進めてきているが、その過程で米価が下落してもある程度仕方がないとしている、つまり、低下した売上分を規模拡大で補おうというしているのであり、急に豊作になると、思惑以上に米価の下落速度が加速し、戸惑ってしまう百姓が増えるために、何とかその不安感だけ一掃したいとする付け焼刃的な対策なのではないかと思う。
百姓は、汗水たらして、一生懸命栽培した作物を、決して倉庫に隠したいわけではなく、また、圃場で廃棄したいはずがない。なぜ、そういう事態に陥るのか、百姓は百姓なりに真剣に考える必要がある。豊作と不作、凶作等、異常気象や様々な自然の要因でなかなか思い通りの栽培が出来ないのが農業ではあるが、まずはその自然との共生を今一度科学し、分析し、それでいてしっかり自然に任せる農業のあり方を追求する必要がある。農薬や化学肥料に頼っている限り、百姓は貧困から脱却は出来ない。また、不作や凶作、どうしても駄目な場合は、保険のようなもので所得を保障可能な仕組みを活用すべきで、政府に簡単に頼ってしまうから政府にうまく利用されるだけになってしまうのではないか。そして、やはり最も大切なのは、しっかり農業の本質を理解してくれる消費者と連携をとることだ。10キロ4,000円のあきたこまちでも1食分で換算すると50円ぐらいにしかならないという。百姓の水稲の栽培に関わる全ての労働時間(時給800円)を足しこんだとしても1食100円にもならない、つまり、今まで政府が保護をしてきたことで、米の望まれる価格帯がみんなにわからなくなってきている。主食だから保護をしなければ、とか、米農家が多いからなんとか守らなければという論議から、そろそろ未来を見据えた農業政策が必要になってきており、それは安易な税金の投入ではなく、国防の意味合いも持たせた農業保護政策と環境保全、食の安全を踏まえた国内農業推進策であり、地産地消をベースとした地域社会の活性化施策なのではないだろうか。
《追記》
百姓は、時給では生きていないし、時給換算では、決して生きてはいけない。でも時給以上に価値のある時間をゆっくり生きている、そんなことを誇りに思う。

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3 コメント

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Unknown (果樹農家)
2007-10-28 13:55:38
あなた方は自分の経営を維持し生活する為に営農している訳です。全体の米消費が減少する中、それに代わる換金作物に着手できず生産過剰を理解しながらそれでも米を作りつづける。相場下落で全体が成り立たない事になってもまだ旧来のあり方で稲作を継続しようとしている。経営的にそれを維持しなければ成らない事情は理解する。しかしだ、そんな体たらくを消費者が理解し維持するよう努めるべきという発想は筋違い勘違いもはなはだしい。そんな姿勢で農業の本質を理解してくれる消費者と連携等出来よう筈がない。それにそもそも農業の本質を理解してくれる消費者など存在しない。

消費者は消費者の為に頑張ってくれる農業者を支持するべきだし、それ以外支持しないのは当たり前だ。
腹いっぱいなのにそれ以上に金をだして購入するような不合理はしないのが当たり前。

政府が悪い・消費者が理解してくれない。
寝言を述べている暇があったらどうしたら自分達の生産が
消費者に支持されるのか。考えたら宜しい。

自分達が社会にとって必要な存在である。と考えているのは貴方たちだけなのだ。市場が、価格が貴方たちにNOを突きつけている。なんだかんだ理屈を捏ねる前にその事を真摯に受け止める必用があるだろう。

我々は同じ農業者でありながら、生産補助等にありつけなかった。だから自前の努力で消費地に乗り込み、市場を開拓し、商品開発し、消費者に、企業に評価をされるよう徹底した努力を行ってきた。そういう事が結実し年々の成長を生み出している訳だ。やる事をしっかりやっていれば衰退など無関係。

貴方たちはやるべき事をやらなかったから今があるのです。いままで長い間稲作の衰退に関わる要因を散々見つづけてきたでしょう。改善に要する時間は沢山あった。今までいったい何をやってきたんですか?
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Unknown (果樹農家)
2007-10-28 14:15:26
>百姓は、時給では生きていないし、時給換算では、決して生きてはいけない。でも時給以上に価値のある時間をゆっくり生きている、そんなことを誇りに思う。

私の場合時給5000円で換算しています。
それでも安いぐらいの価値を生産しています。
時間的ゆとりはありません。
でも当方でなくては満足いただけないお客様に
対応するにはゆとりなど持っていられない。

お客様の為。お客様に支持されつづける体制を取るなら
自分の余裕など吹き飛ぶ筈です。

自分の余裕が沢山あるという事はそのような事をやっていない。という事に成ります。

貴方の自己満足を支持する為に金をだす消費者が沢山いればいいですが、世の中そんな甘いものではないと思います。

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Unknown (ユリサ)
2007-10-28 20:52:52
私が書きたかったのは、自らの体たらくもさることながら、今一度、“農”について政府も国民も考えてみる必要があるのではないかということです。
時給5,000円は良い事だと思います。但し、時給換算するともっと効率を上げる方法は山とありそうですし、“農”を効率や効果でのみ計る産業のひとつと捉える方法と“農”は国土保全や国防、自然体系や生物多様性の維持する文化と捉える方法のバランスが必要だということです。
例えば、産婦人科が少なくなり、地方では出産すら安心して出来ない時代を迎えています。何故なのか?医者になる学生が、リスクが高くきつい産婦人科よりも、リスクの少ない眼科や精神科を専攻するようになってきていると言います。
ここにも同様のことが言えると思うのですが、貨幣偏重主義というか価値をすべてお金で換算すると、少しでも楽をして(リスク負担をしないという意味も含めて)収入を得たいと思うのが人情です。
過疎地域であえて医療に従事する方々や山間部で一枚5畝もない機械も入らない田んぼを何枚も管理する水稲農家・・・・・物好きじゃないと出来ないことなのかもしれないですが、決して貨幣では計れない仕事の価値がそこには存在するのでしょう。
また『生産補助等にありつけなかった。だから自前の努力で消費地に乗り込み、市場を開拓し、商品開発し、消費者に、企業に評価をされるよう徹底した努力を行ってきた。そういう事が結実し年々の成長を生み出している訳だ。やる事をしっかりやっていれば衰退など無関係。』ということは別で、こちらはおっしゃる通りで、保護政策が生ぬるい体質を作り上げ、競争力を失くしたのでしょう。以前“お金がないから知恵が絞れる”と教えてくれた方がおられましたが、厳しい社会で自由経済の荒波にさらされ常に精進を積み重ねられた結果、市場で認められる作物の栽培から販売に到達されたことは、大変ご立派なことで、百姓はそれぞれが、みんな目指すべき姿であると思います。
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