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「国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠打敷て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ。」
これは芭蕉が平泉で詠んだ句だが、杜甫の「春望」を思い出して詠んだと言われている。
「国破山河在:国破れて山河あり
城春草木深:城春にして草木深し
感時花濺涙:時に感じては花にも涙を濺ぎ
恨別鳥驚心:別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
烽火連三月:峰火三月の連なり
家書抵万金:家書万金に抵る
白頭掻更短:白頭掻けばさらに短く
渾欲不勝簪:渾べて簪に勝へざらんと欲す」
別にうつつを抜かしていた訳でもなく、手を抜いていた訳でもない。しかし時代の流れに・・・。
「時代の流れ」ということを原因にしていることが「甘え」なのか、この「悔しさ」を忘れてはならない。
これは芭蕉が平泉で詠んだ句だが、杜甫の「春望」を思い出して詠んだと言われている。
「国破山河在:国破れて山河あり
城春草木深:城春にして草木深し
感時花濺涙:時に感じては花にも涙を濺ぎ
恨別鳥驚心:別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
烽火連三月:峰火三月の連なり
家書抵万金:家書万金に抵る
白頭掻更短:白頭掻けばさらに短く
渾欲不勝簪:渾べて簪に勝へざらんと欲す」
別にうつつを抜かしていた訳でもなく、手を抜いていた訳でもない。しかし時代の流れに・・・。
「時代の流れ」ということを原因にしていることが「甘え」なのか、この「悔しさ」を忘れてはならない。
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