百姓通信

自然と素直に向き合い、全身で風を感じて私は百姓しています。
①土づくり②循環型③無農薬・無化学肥料④永続性を大切に!

秋の空   その2

2015-09-20 20:38:25 | Weblog
今日は地元の運動会。
最近は町の自治体主体で運動会をされるところは少なくなっているという。
やれば楽しいけれど、準備は大変だし、スタッフや参加者を集めることは更に難しくなっているのが昨今で、場所の確保すらままならないという。
そんな中、こんな晴天のもと、老若男女が特に凄い景品があるわけでもないのに、3つのチームに分かれて競技を競う、なんとも素朴で穏やかな時間と空間をみんなで体感出来ることは、何ともありがたい。

秋の雲

2015-09-19 22:51:43 | Weblog
秋の雲はなかなか、物語を語ってくれる。
これは、所謂、刷毛で掃いたように見える『すじ雲』。
雲の中でも一番高いところにできる雲で、高層の空気の流れが速くなる秋によくみられる。

寸止めの味

2015-09-19 01:20:36 | Weblog
スナック菓子がなぜ『やめられない止まらない』のか?
それは濃縮・精製された油と砂糖に原因があるようだ。
具体的には脳の中の回路の『報酬系』が働き、もっともっと欲しいと思うようで、ニコチンや麻薬、アルコールへの欲求にも似ているという。
脂肪や糖質は生きるためには大変重要なエネルギー源となる成分であり、ある時にもっと欲しいと思うことは大切な生きる上での能力となるため、このことが、自然界に存在しない高濃度・高純度の食品が、『寸止めの味』を生み出したようだ。

秋の訪れ

2015-09-17 23:53:22 | Weblog
バッタやイナゴ、コオロギが圃場の中で『秋の訪れ』を喜んでいる。
こんな昆虫達をみて思うことは、良質なタンパク質と呼ばれて、必須アミノ酸や鉄分などのミネラルやビタミンも豊富に含んでいるため、昆虫は一種の完全食品という人がいるのに、日本ではあまりそういう活用方法は考えられていないように思う。
2年前には国連食糧農業機関(FAO)が昆虫食を推奨する報告書を発表したり、フランスにはバッタやコオロギだけではなく、ミミズを養殖している企業があるというのに。

シロバナツユクサ

2015-09-17 00:25:03 | Weblog
ツユクサは普通は染料に用いられるぐらいだからその花弁は青色と決まっている。
しかしツユクサの種類も、結構あるようで青花で花の縁だけが白く輪を連ねたような模様をつくるものもあるようだ。
しかしこの白い花の形質は遺伝的に固定されていて、メンデルの『優性の法則』に従っているといわれているが、本当にそうなのだろうか?
一度交配して調べてみたい。

博士たちのエコライス

2015-09-15 21:11:18 | Weblog
10年来のお付き合いになる、県立大学の教授であった小池先生が大学の退官と同時にお米づくりを始めたのが、8年前になる。
農業経済学が専門の先生が自ら水稲を、それも大学の近隣の2.4haもの土地で、われわれも当時まだ模索中だった“無農薬・無化学肥料”でお米を育てようという。
農学部の先生も沢山知っているが、それぞれ専門分野をお持ちで、理論はわかるが実際は狭い実験圃場で米作りをする場合やプロの農業生産者から集めた情報から栽培方法や経営方法を議論することはあっても、大きな規模で複雑な要件を勘案しながら自ら畔の草刈りをしながらお米を育てて、その経済性を検証しょうという。
その農法を『いのちはぐくむ農法』と呼び、その農法で丁寧に栽培されたお米達を『博士たちのエコライス』と呼ぶ。
そんな悪戦苦闘の8年間を詰め込んだブックレットがサンライズ出版から発刊された。ご興味のある方は、ご一報を!!

秋の空

2015-09-14 23:30:36 | Weblog
「◯◯◯◯◯◯と秋の空」とはいうが、今朝はスッキリ青い空が広がり、遠くの景色までが大変近くにみえる。
『秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる』と昔、藤原敏行朝臣が秋の訪れを詠んだが、朝、夕、涼しく過ごしやすくなると眼にも鮮やかに“秋”は見えてくる。

福寿海無量

2015-09-13 22:56:53 | Weblog
人生にはさまざまな出会いや別れ、楽しいことばかりではなく、苦しいことや嫌なこと、哀しいことや辛いことがある。
それらすべてが観世音菩薩の功徳であると考えると、いいことも悪いこともそれらすべてを受け入れ、人生の奥深さを日々感じることでわれわれの人生はより有意義なものになるだろう。

ALIVE

2015-09-11 21:52:14 | Weblog
上原ひとみさんの昨年のアルバム『ALIVE』を聴くと、またひとつの気づきがある。
「始まり、創生、生まれ、息づく」
「その瞬間瞬間をどう生きるか」、
そんなことを今更ながら問われている気がする。