10年前だそうだ。
Facebookのこの写真。そうか、その頃かなあ。
ただ、公園の葵がきれいに咲いたとしか、書いてないのに、
それ以前からのFacebook友達は、
たぶん何か私の環境が変わったのを察したんだろう。
コメントにこんなことを書いている。
上のコメントの人、バンコック在住だった。かなり年上。
この下に続くコメントで、
タイに遊びに来なさい、と書いてある。
行きたかった。
しかし、行けるような状況になかった。
ずっと毎年、自分で掘った版画の年賀状が届いていた。
Facebookの大阪友達(今もInstagramと Facebook友達・同年代女性)も、
同様にネット仲良しで、同じ年賀状を受け取っていた。
いつか3人でバンコックで飲みたいねとよく書いていた。
しばらくして、彼のFacebookの更新が途絶えた。
彼女と2人て心配したが、彼の音信は、それきり途絶えた。
日本で音楽関係の仕事を長年やり、
タイに1人で移り住み、
最後はなんだか心細さが滲むようなことを書いていた。
亡くなったんだろうと思う。
大阪の女性は独身で、明るい美人だけど繊細な面が垣間見えた。
私は10年前、人生のどん底にいた。
そんなことは一切Facebookには書かないが。
懐かしい。
SNSは、古いほど、本音で交流できて気持ちが通った。
20年前のSNSは、今では信じられない程、
リアルに近いあからさまな個人と個人で繋がっていた。
まあ、今にくらべたら利用者数が全然少なかった。
ネットは村だった、2000年頃。
今も大阪の女性とは一度も会わないまま、
この【タイのタダさん】と3人組だった時期から
距離を縮めないまま、時が流れている。
人の縁て、不思議。
縁ある人、縁なき人。
直に会いもしないで続く、縁ある人。
会って夜通し飲んで語り合いたかった、タダさん。
気持ちが通う、地上での縁なき人。