昨夜も今朝も肌寒い。何度だろう。
今日の最高気温は28度予定。
iPhone無しの約60時間は貴重な経験だった。
学童に忘れて来たことは前にもあるけど、
平日だったから、翌朝取りに行けば一晩の我慢。
今回は長い。
iPhoneに触れないと、1日は普段の何倍も時間がある。
腕時計をするのを20年くらい前にやめた。
2日間は、外に出たら時間がわからかった。
常には、iPhoneでしょっちゅう時間を見る。
それができない。
代車のタントには、計器の中を探しても時計がない!
出かける時に柱時計か卓上時計で見ておかないと、
今が何時なのか分からない。
いつものように港散歩に行くと海風が吹いていて気持ちよかった。
ゆーちゃんの気の向くままに歩かせベンチで休ませて、
ぼぉ〜と何も考えず、海風に吹かれてそこにいるだけの時間を過ごした。
なんてゆったりした日曜日。1時間以上そうしていたようだ。
iPhoneがないのは不便だけど、反面、解放感も味わえる。
だけど日が暮れると、話し相手がいない。
iPhoneは話し相手代わりでもあったと今更気づく。
テレビがつまらないから積んどいた本に手を伸ばす。
手にした本が面白く感じる。普段になく、面白くて夢中で読む。
お腹が空いていると、食べ物が余計に美味しいみたいな感覚?
書いてあることがすんなり染み渡り、言葉が記憶される。
普段なら、読みながら忘れていく。
便利な物を失くして空いた部分には、
こんなに豊かな時間を当てられたんだな、と知る。
変な話だけど、
そうか、ゆーちゃんはiPhoneのない世界にいたんだなあ。
いつもいつも暇だったよね、もっとかまってあげないとね。
申し訳なく思う。
ゆーちゃん、人間の年でいうと73歳。
1日1日を大事に過ごさないとね。
金曜日夕方、学童にiPhoneを起き忘れた。
学校のセキュリティ解除を依頼すると面倒なので、
(土日だから、支所の警備から担当課長、学校長へと緊急連絡が回る)
2日間ケータイ無しで耐える事にした。
だから私には連絡手段がない。
っていうことを、土曜日朝、叔母に話した。
叔母のガラケーの中には、娘と息子の番号が入っている。
私の同級生の番号もいくつか入っている。←鮭マスの客
叔母のガラケーを借り、
同級生に電話して、車の板金屋の番号を聞き、用件を伝えた。
2日間で連絡したのは、それだけ。
子ども2人からはLINEかLINE電話が来るだろう。
でも、つながらない………
だから、叔母に頼んだ。
「2人から、もし電話が来たら、伝えておいて。」
「はいはい、ちゃんと言っておくよ。」
もう、それ以上は諦めた。iPhone無し!
月曜日朝、iPhoneが手元に戻り、子ども達にLINEした。
すると、息子が日曜日、
叔母に安否確認の電話を入れた、ことがわかった。
息子によると、叔母は、
「ついさっき、うちに来たから、愛子は生きてます!」
と返事したそうだ。
良かった、ありがたいと思いつつも疑問がチラつく。
叔母に電話して礼を言いがてら確かめたら、
私が職場にケータイを忘れてきて連絡不通状態だということは、
・・・叔母には理解できていなかったようだ。
え? どゆこと? うーん。。。。まあいいか。。
◆今回のことは教訓になった。
iPhoneとの付き合い方を変える時が来たな、と思う。