昨日は20度を越して、暑い位だった。この頃も
気温の高さのせいで、蕗も大きくなって来た。初収穫を
した。つわぶきも美味しいと言うし、沢山生えているが、
我が家は蕗しか食べたことがない。
夜は、椎茸・油揚げ・こんにゃくと一緒に煮た。とても
懐かしい感じの料理。味も上手く染みて美味しかった!
祖母や母を思い出す料理だなぁ。
蕨も今日食べる予定。初物2種類75日X2=150日も
長生きできるのかなぁ?そう思うとなんだか嬉しい。
蕗と蕨に有難う!
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一昨日の夜久し振りに眠れなかった。次の日に響くので、
夜中の0時が薬を飲む目安。でも1時(既に昨日)に
なっても全然眠れないので、1時半頃薬を飲んだ。
案の定7時頃に起きて、頭がぼわっとした感じ。1晩中
眠れないと、メニエールになるのが怖い。眠れない
原因も分からないままだった。
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父母が健在の頃、母は既に軽い認知症だった。眠れない
からと、睡眠薬を常用していた。ある朝父から「お母さんの
様子がおかしい!すぐ来て!」と電話。
隣に駆け付けると夢遊病者の様な母。朝食を食べさせて
服を着替えさせて、すぐ病院へ連れて行った。目は
開いていた。
結局何が原因かと言えば睡眠薬。とうとうお昼まで病院の
ベッドで眠っていただけ。夜中に目が覚めたたびに「眠れ
ない!」と思っては飲んでいたようだ。私が食べさせ着替え
させたのも連れて行ったのも、全く覚えていなかった。
で、全部半分に割り、3個だけ小さなタッパに入れて枕元に
置いた。話せば納得したのに、お医者さんには付き添って
私がいる前で、「娘が睡眠薬を隠してくれない・お父さんが
私の分まで取って飲むから足りない。もっと下さい。」と訴える。
私は(睡眠薬は脳を麻痺させるから認知症にも悪い)と
思っていた。薬屋さんから、3錠くらいまでは大丈夫
ですよと聞いて、それからは割ったのを6個タッパに入れた。
まだまだ初期の、認知症の母の笑うに笑えない思い出。
やはりちゃんと0時までが無難だ。昨夜はよく眠れた。
良かった!とにかくメニエールが怖い!!
有難うございます。
母もそうでした。始めはそんな母が信じられなくて、「さっきも言ったよ!
何度も言っているよ!」なんていう時もありました。でも、怒るように言うと、
お世話をしている私の事を、娘と言うより酷く怒る人という記憶
しか残らなくなると聞きました。それはショックでした。
それから3度は我慢しようと、「そうなの?、ふ~~ん。」と優しく
聞くようにしました。それ以上になるとやはりうんざりなので、
「一寸待ってて。」とその場を離れるようにしました。
不思議だったのは、父と二人介護している時、父の方が車椅子だったので
(頭はしっかりしていた)、結局父の方の介護に重きを置いていました。
すると昔から知っている母ではない母になって、焼き餅を焼いたり,優しい父の
悪口を言ったり、悲しかったです。認知症も進んでいく感じだったんです。
ところが父が亡くなり母だけになると、自分の方だけ向いてくれる事に
安心したのか、「お父さんはいい人だったのに、早く死んで(91才)可哀
想だった。」とか以前のように父のことを言い出したんです。
それからは穏やかでいつもニコニコ。最後まで楽しい母との濃密な時間が
過ごせました。
母の良かった点は、デイサービスが大好きで、毎日でも行きたいと
いう人だったんです。それは有り難かったですね。