夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

琉球王国の文化と信念

2018年08月10日 | 日記・エッセイ・コラム


「沖縄には日本語の原型が残っている、、」随分昔他界した縁戚の言った言葉だ
叔父貴は、娘の結婚式の夜、バケツで汲んできた風呂の水を和室の畳にぶちまけたというエピソードも残したくらい娘を愛していた

八丈島にも消えてしまった古い日本語の片鱗が残っているという話を聞いたことがある
沖縄、台湾、フィリピン辺りから何世紀もかけて海を渡ってポリネシアにたどり着いた人類の歴史は、言語学的に見て定説になっているようだ

数年前初めて訪れた沖縄は、首里城から海を隔てて四方八方の国々を見渡す王国であったことがよくわかるような気がした
アジア諸国や大陸から渡ってきた文化が琉球王国を介して、鹿児島、そして日本各地に伝来したのだろう

ちょうど今頃初盆の家の前で行われる遠州の念仏踊りが、沖縄のエイサーの所作に似ている
三方ヶ原の古戦場での死者の霊を供養するために始まったようだが、当時琉球の影響を受けたとしたら、、と想像力を掻き立てられる

軍事的な要件はわからないが、米軍による沖縄の基地化は、戦時中から決まっていたという
終戦間際の日本軍が沖縄を最後の砦という位置づけにしたことも原因しているのかもしれない

米軍の駐留によってなんらかの雇用や経済が潤うにしても、事件や事故など払われてきた犠牲も大きい
原発然り、雇用や補償、寄付などを期待した結果、故郷を失う結果になりかねない現実もある

広島、長崎の原爆慰霊の式典で、両県知事が核兵器の根絶を日本は同意すべしと今年も訴えた
そしてカメラは米国の核の傘下で、北朝鮮の核保有を抑え込んでもらい、憲法を改正しようとする首相を写す

最後の力を振り絞って辺野古の埋め立て許可を撤回して、死の床についた翁長県知事は立派だ
沖縄はもう散々米軍基地駐留に協力してきたではないか、という意思を明確に貫いた

いや、私の住む関東でも米軍基地はあって娘たちが高校に通っていた頃は、エアコンがない教室で戦闘機の爆音を聴きながら授業を受けてきた
考えてみるとなぜそこに基地が必要か、十分な説明もないまま戦後が続き、戦闘機が離発着していることに目を向けなくてはいけない

「翁長知事のご冥福をお祈りいたします」と手書きの紙が貼られた沖縄物産を売るお店が印象的だった
翁長さん、男として立派です、ご冥福をお祈りいたします


『安里屋ユンタ』 夏川りみ (琉球伝統歌舞集団チーム琉神)

エイサー(オジー自慢のオリオンビール) 昇龍祭太鼓

昇龍祭太鼓 ( 三線の花 ) in 浅草国際通り ビートフェスティバル 2011

時空を超えて

2018年08月07日 | 音楽


仕組みはよくわからないが、国境を越えたミュージシャンやダンサー、キッズたちが一曲の中に登場する「Playing For Change」
音源と映像をマルチトラックで収録していって編集するのだろうか、いつの間にかコレクションが増えていた

ディランの楽曲に、ハワイアンとアメリカインディアンの血を引く人々が参加している絵が興味深い
どちらも白人によって追いやられた歴史を持つ先住民を祖としているからだ

若いころ親しんだアメリカンモダンフォークは、歌詞に強烈なメッセージ性を持っていてそれがまたカッコよかった
口角泡を飛ばした学生時代、歌で歌えば何と無く穏やかで知性的に思えたものだ

英語の歌詞は十分意味がわからなかったけど、間も無く日本語で歌う日本のフォークソングが出てきた
学生運動に参加した若者はヘルメットと拓郎の歌を携えて都会を転々としたに違いない

ノンポリの私は新入生勧誘の大学中庭で、左翼を追いかける右翼の連中を横目で見ていた
学生運動はやがて高度成長経済でのモーレツ社員へと姿を変えていった

ボブマーレーの作った楽曲に三味線が乗っかっても、シタールが鳴り響いてもおかしくないのが、音楽の良さだ
インドでバンブーフルートを吹く人がいたり、キューバの巨大な親指ピアノに驚いたりと、新発見もある

世は今、学生に愚かなことを命じた大人が嘘をついたり、子の不正入学を依頼したり、乱れに乱れている
残念ながら音楽の世界でも同じような醜い話が相変わらず横行しており美しい話ばかりではないのが実態だ

しかし音楽こそ、人種や生い立ち、環境を越えて一つことを成し遂げることのできる素晴らしい文化だと思う
とりわけキッズたちの音楽やアート、ダンスなどに、なんの抵抗もなく入ってゆける柔軟性に感動する

神は存在するし、監視塔で見守っている
人の生き方というものを見ていることを大人は知るべきだ



All Along The Watchtower | Playing For Change | Song Around The World

Okaïdi & Playing For Change 2014 : "Don't Worry, Be Happy"

Redemption Song | Playing For Change | Song Around The World

心地よいベース

2018年06月16日 | 音楽


三十数年前ギャビィ・パヒヌイが他界した翌年、墓参を兼ねて訪れたハワイ
ワイマナロの自宅を訪ねると我々一行を家人が快く招き入れてくれた

ネックが反ったマーチンのD18であったかギャビィの遺品を出してくれて「弾きなさい」と
当時子息のシリルとマーチンが一緒に住んでいたようだが、あいにく二人とも留守であった

ピーター・ムーン・バンドが初めての来日公演を行った時、このシリルとマーチンの兄弟が参加していた
表参道「CAY」での2時間MCなし、休憩なし、ぶっ続けのステージは、スタンディングの聴衆を驚かせ、マニアの間で今だに伝説と化している

当時ダカインサウンドを目指していた者にとって、彼らの繰り出すリズムとグルーヴは衝撃だった
その時ベースを弾いていたマーチンが若くして逝き、ピーターも逝ってしまった



エレクトリックベースは元来フレッテッドで、正確な音程を出すために開発された
その後フレットを抜いてフレットレスにしたり、箱をつけて箱鳴りを期待してピエゾピックアップで増幅したりと、ウッドベースの音を求める動きもある

高校の頃、ウッドベースを始めたが当時はピックアップをつけることも行われていなくて音は通らなかった
ロックの台頭もあってやがてクリアでポータビリティに優れたエレキベースに持ち替えた

エレキベースは、立奏するウッドベースとは別物と思ったほうが良い
そしてフォークギターなど生ギターの響きとエレキベースとのサウンドもまた魅力がある

しかしよる年波か、ウッドベースの低音がひときわ気になってきた
クラシックのオーケストラなど、地味ながら地を這うような重低音がステージを覆うのがイイと思うようになってくる

ギターやメロディ楽器を弾く方、とりわけ初心の方はベースを聴いていない
ベースの入らない音楽もいいが、ベースが渾然一体となっているサウンドに「ノリ」がある

心地よいベースとは、邪魔にならない、いつまでもそこにいてほしい親友のような恋人のようなものか
いや、人間は勘違いしたりフラれたりとなかなか難しいが、音楽はいつまでも一緒にいられる、、、、

下北沢でお会いしたSさんはそんなことをおっしゃっていた、、
嗚呼

The Peter Moon Band - Featuring Bobby Hall and Ka'ula Kauna'ele "Holoholo Ka'a"

The Peter Moon Band featuring Martin Pahinui

Hui Aloha Featuring "Martin Pahinui" Singing "Pu'uanahulu"

ファンというものは

2018年05月29日 | 日記・エッセイ・コラム


「金平糖」懐かしい響きの言葉
甘くて硬い砂糖菓子が口の中で転がる、こんな繊細なお菓子が昔から日本にあった

着物のようにまとったパイナップル風味のチョコが口の中でとろけると、星形をした金平糖が出てくる
しばらく忘れていた和菓子の感触を味わいながら、あまりにも長きに過ごしてしまった時間を思いやる

いただいた金平糖に驚いたのは味だけでなく、丸い缶に描かれたレトロな字体と色調、パイナップルのデザインだ
一体誰がこんなデザインを思い描いたんだろう、作者を知りたい欲求にかられる

デザイナーは綿貫浩介さんという欧州で美術活動を始めた日本を代表する方という
京都の茶業をルーツとする老舗企業がこうしたスイーツを開発するまでの歴史も興味深い


思い立って下北沢のライブスポットへ出かけた
学生時代から演劇、雑貨、中古レコード店、飲食店が並ぶ、さながら毎日が縁日みたいな街だ

駅から360度方向に拡がる街並みは、いつ行っても方向がわからない
Yさんという声優さんの経営するお店でA大学のOBの皆さんのバンドに誘われてよく通ったものだ

浜口庫之助さんに師事されたというその方のライブ会場は、満員でミキサー席まで客を座らせていた
若い頃アメリカに渡りジャズクルーセーダースを聴いたとか、その時の思い出か今回のアルバムにはウッドベースを入れたそうな

浜庫さんに師事された方がどのような曲を書くのか、、男と女がテーマであることは変わりない
詞とメロディが一体化している、ひょっとするとハチロクのような強烈なリズムの上で、一括して出来上がるせいだろうか

音楽は良いよね、関係性において、、くっついても離れても傍においておくことができるから、、みたいなことをおっしゃっていた
7月に出るアルバムを指してか、70歳にしてデビューするんだ、とも

そういえば尾崎さんの命日が近づいてきた
初心にかえり、デビューするつもりで精進しなければ


あなたのすべてを 尾崎紀世彦

マイ・ウェイ 尾崎紀世彦

傷心の日々

2018年05月20日 | 日記・エッセイ・コラム


大リーグで活躍する日本人野球選手のニュースは、門外漢にとっても見ていて爽やかな気分になる
一方で煮え切らない政治の世界のやりとりや悪質な事件の報道はチャンネルを変えたくなってしまう

ここのところの急激な温度の上昇は樹木や果実、野菜など、成長を促している
花が咲き実をつける植物の息吹は見る者に活力を与えてくれる

若い頃、時間の経過など考えもしなかったくらい、無限に将来が拡がっていた
学生から社会に出て、先輩諸氏との長い会話を続けて、酒を酌み交わし、時に涙して、歳を重ねる

学生時代憧れの先輩諸氏との会話は楽しかったし、希望であった
先輩たちも自信を持っていたし、余裕があった、そんな時代背景もあった

スポーツの世界は全くわからないが、おそらく先輩後輩や師弟の絆は想像以上に強いのだろう
だからこそ先輩は後輩を大事にするし、敬愛する指導者は絶対の存在なのだろう

しかし報道されている某大学のスポーツクラブの監督の言動は余りにも酷い
学生に悪質プレーをけしかけておいて平然として辞任する、申し訳ないという、無責任だ

同大学の関係者ならずとも慇懃無礼な言動は許せない
被害を受けた学生はもちろんのこと、命じられた学生のそれぞれの人生は、一生この嫌な人間の記憶を背負って生きていくことになる

この事件の報道と映像に映る彼の顔を見ていると、先の大戦での日本軍の暴走を連想してしまう
お国のために人を殺してこい、などどという上下関係で多くの若者が死に追いやられた

あの当時、目的地にたどり着けない飛行機で体当たり特攻を志願させられた若者たち
感受性が欠落している人間の格好をした爬虫類、そういう人間も世のなかにいる


さてビー・ジーズの作品「How can you mend a broken heart」
こんな美しい曲を引き合いに出したくないが、偶然Paul Maloが歌っている映像を目にした

メジャーコードとメジャーセブンの使い分け、が素晴らしい
ロネッツの「Be my baby」とコード展開が同じだということも今更気がついた

「This broken heart」のモチーフはここから得たのかもしれない
良い曲は何でも取り上げる、無節操さもまた良い

実るほど頭を垂れる稲穂かな


Raul Malo & The Mavericks "How Can You Mend a Broken Heart"

https://youtu.be/8QUX8fJ40RA