夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

カンツォーネの頃

2015年01月29日 | 音楽



60年代は、ドイツ、イギリス、アメリカ、ベルギーやなんと日本からもヒット曲が出た時代、世界中でポップス花盛りだった。
そして「サンレモ音楽祭」から出たカンツォーネのヒット曲は遠い日本にイタリアを強烈に意識させてくれた。

以降の「音楽祭」からヒットを生むビジネスモデルは、サンレモがきっかけだったように思う。

漣健児さんの名作とも思われる歌詞の邦訳はアメリカンポップスの日本でのヒットに貢献した。
そしてあの頃馴染みのないシングル曲のタイトルもわかりやすい日本語に置き換えられて馴染んだものだ。

カンツォーネで例をあげれば「夢見る想い」「花咲く丘に涙して」「愛は限りなく」「ほほにかかる涙」「君に涙とほほえみを」
などなど、ロマンチックではないか。
当時そんなタイトルに恥じないような叙情的な曲調が次々と並んだことも事実であった。
歌詞の内容はさておいて原題よりもその曲を表現するにふさわしい邦題命名がなされていたように思ったものだ。

イタリア語の名前もエキゾチシズムを感じさせるに充分であった。
「ウィルマ・ゴイク」や「ジリオラ・チンクエッティ」などジャケットに映るたった一枚のポートレイトに名前をダブらせて勝手なイメージを作り上げる。

あれから四十数年を経て当時の面影を残した彼らが歌う姿を見るのもまた良し。
十代の青春にタイムスリップするもまた良し。

イタリアに行ってみたいものだ。









Wilma Goich, Le colline sono in fiore - da MilleVoci 2011


Bobby Solo-Una Lacrima Sul Viso-


Gigliola Cinquetti L'ORAGE + NON HO L'ETA (2008)


Gigliola Cinquetti Dio Come Te Amo (1966) Legendado

Gigliola Cinquetti - Non Ho L'eta 1964

italy- BOBBY SOLO- Una Lacrima Sul Viso

Wilma Goich - Le colline sono in fiore.LIVE!

ウィンディ

2015年01月27日 | 音楽



「Windy」も「Never My Love」も上品なコーラスと特別な世界を表現する楽曲として記憶に残っている。
が、「The Association」というバンドのヒット曲だということは認識していなかった。

1962年、ハワイで米海軍に勤務していたジュールス・アレキサンダーと訪れたテリー・カークマンが西海岸で結成したバンドらしい。
そんなわけでメンバーには「MFQ」のジェリー・イェスターの弟がいたり、ジェリーが制作に参加したりと、ここでもハワイつながりが見えてきて嬉しい。

郷里の同窓T君からのお手紙が興味深いので紹介しよう。

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母校でのエレキバンド「強制アンプラグド事件」の話、私も鮮烈に覚えています。
高校時代の1,2を争う強烈なインパクトのある思い出になっていまして、今でもあのシーンをまざまざと覚えています。
とりわけK教頭の一言「なんだその拡声器は?」という怒声・・・
まさに「カクセイの感」があります。

「カクセイ」といえば今朝、いつものように6時前には目が覚めてしまい。
いつものようにラジオを布団の中で聞いてましたら、一瞬、何を言っているのか耳を疑ってしまうことがありました。

N放送の第1ですが、音楽をお聞き下さいと曲紹介したのが「ウィンディでアソウシエーション」????
一瞬「なんのこっちゃ」と戸惑いましたが、すぐに「アソウシエーションのウインディ」のことかと理解しました。
実際そうだったんですが、FOされた後、紹介でも堂々と「ウィンディでアソウシエーションでした」と、
何事もなかったように番組は進んでいきました。
男女のアナウンサー、たぶん、中堅からベテランの域に入ろうとしている2人が司会しているのですが、選曲は間違いなく制作者だと思います。

ネットで確認しましたら1967年の全米1位ソングということで50年も前のことなので無理はないことだと思いますが、あ~あと溜息が出てしまうほどの「隔世の感」でした。
グループ名も曲名も「ワンワード」なので気がつきにくかったと思います。

あと50年もすると「ブラックバードでビートルズでした」なんてことがラジオから聞こえてくるかも知れません・・・
歌詞の内容まで踏み込んで聞いていないと起こり得ることだと思います。
まさしく隔世の感、「覚醒の朝」でした。


ついでに、これもここ1年の間にまたしでかしていた、お決まりの間違いですが
テレビのワイドショーかなにか、とにかくバラエティで「赤ちゃんの話題」を取り上げていました。

そのBGMにまたしても使われていたのが中尾ミエの「可愛いベイビー」。
ベイビーが「恋人のこと」だなんて思いもしなかったのでしょうね、制作者は。

60年代初めアメリカンポップスの影響もあってか英語で恋人を「ベイビー」と呼ぶのがイキというか
かっこいいと思われて、日本でも盛んに歌に取り入れられたりしました。
ですから「可愛いベイビー」の日本語タイトルも訳詞も「ベイビー」をそのまま使ったんですね。
訳しようもないということもありますが。

ただ、罪作りなのは、コニーフランシスの元歌は「プリティ リトル ベイビー ヤァヤァ 」でハイハイとは歌ってないんですね。
これは漣健児さんから直接聞いたので確かなのですが、「やぁやぁ」じゃ若い恋人同士のことにはぴったりこないので「ハイハイ」にしたということです。
それが「可愛いベイビー ハイハイ」と歌うと「ハイハイが、這い這い(?)」に結びついてしまうようなところもあって、赤ちゃんの歌だとつながってしまったと思います。
勝手な想像ですが・

ちゃんと歌詞を聞けば「可愛いベイビーハイハイ」の後には、
「可愛いベイビーと呼ぶのは、愛しているからかしら、今すぐ会って・・・・」と恋人だとわかりそうなものだと思います。
が、タイトルからの「先入観の呪縛」は引き継がれてしまうんでしょうねえ・・・・

それにしても今朝の番組は訂正されたのでしょうか。
ちなみに7時までN放送第1を聞いていましたが、その形跡はなかったように思います。



The Association - Windy - 1967

Association - Never My Love


(9) 懐かしの昭和メロディー 恋のバカンス 恋のしずく 可愛いベイビ-

ちょっと待って、ゴミ箱

2015年01月27日 | 日記・エッセイ・コラム



さるTV番組で「困る事」特集をやっていた。
新米タクシー運転手の「道を知らない」憤りから「ゴミ箱がない東京の街中」などなど。

日本に住む外国人たちは「ゴミ箱がない、日本、東京」の不便さを異口同音に語っていた。

さる自治体の御仁は「ゴミ箱は無くす方向にしている。ゴミは持ち帰っていただく。条例でゴミを拾う運動を、、、」とあたかも理路整然としているかのごとく自らの決め事を得意げに語る。

いや待てよ、「地下鉄サリン事件」以来、「テロ行為の温床撲滅」とばかりに都心の公共の場、とりわけ駅から確かに「ゴミ箱」は一斉に無くなった。
少々の不便には文句を言わない我が国民は、未だにこの不便さに我慢を続けている。

しかし「ゴミ箱撤去」は、本当に「テロ対策」なのだろうか?
テロ対策はきっかけとなった名目であって、本当は体良く「コスト削減」に転化されているのではないか。

以前お世話になった方の次男坊が「駅周辺の放置自転車対策」についてこう言ったという。
「看板を『自転車置き場』ではなくて『自転車捨て場』にしたらいい」と。
父親であるその方は「頭がいい、さすが我が息子!」とばかりにこのアイデアを絶賛していた。
しかしこの親子のやり取りを聞いて「心の中が寒々とした気持ちになった」ことも事実だ。
それはもはや人間社会の話ではないからだ。

「ゴミ箱が『あるから』モノを捨てる」「なければ捨てられない」、「だからいいだろう」これは一見合理的のように見える。

しかしポケットにゴミを入れて持ち帰っている外国人旅行客も、心ある日本人も『ゴミ箱がないから』持ち帰っているのだ。

走っている車の中から灰皿をひっくり返して路上に撒き散らしたり、買い食いしながら空き缶や紙くずを路上に捨て歩く輩には、そうした配慮など毛頭ない。

先の自治体の条例は、公共の場にゴミ箱のない不便さを甘んじて受け入れた市民に対して、「自らのゴミは持ち帰りなさい、なお不埒な輩の撒き散らしたゴミをも拾いなさい」という不合理を、ご丁寧に「条例で定めて強制するという愚挙」を強いることになる。

よくよく考えてごらんなさい。
ゴミ箱があろうがなかろうが、おかまいなしにゴミを撒き散らしたり、タバコをポイ投げしたり、テロ行為をしたりする者への取り締まりの方が優先事項であって、良識ある市民へ不便とボランティアを強いる条例は不要だ。

ついでに出てきた「ペット」問題も然り。
犬を放して散歩するような横暴な愛犬家の言動が槍玉にあげられ、これを「条例」でなんとかしようとする、
しかし「ペットを飼う資格のない者に問題がある」のであって、多くのペット愛好家は他人に迷惑をかけないよう良識を持って生活しているのだ。

私の住む近隣に大型犬のフンを持ち帰らない不埒な飼い主がいる。

それが一体誰なのかは大方目星がついているのだが、飼い主の非常識さも哀れとして、飼われている当の犬が可哀想だ。
犬に歩きながらフンを強要するような「エセ」ペット愛好家は、この愛すべき近隣から出て行って欲しい。
大多数のペット愛好家がマナーを守って暮らしているこの地には、あなたが住む、少なくともペットの散歩をして歩く資格はないのだよ。

さてTV番組の「ゴミ箱」問題解決の糸口は、「交番の脇にゴミ箱を置いたらどうだろう」提案だった。
不審なゴミは捨てないだろうし警察官の監視の目があるので捨てにくい、位の「Good Idea」なのだろう。

しかしこれも「自転車捨て場」の延長線上にある論理ではないだろうか?
不審なゴミを捨てたりポイ捨ての常習犯が、わざわざ交番の前のゴミ箱に捨てに行くはずがないからだ。

長々と書いたのは、おわかりの通り「論理のすり替えをやんなさんな」と言いたいからだ。

海外から多くの観光客がやってくる東京オリムピックを控え「ゴミ箱のない東京」はあまりにも寂しい。

ゴミ箱があっても治安が維持できる街、路上にゴミのない街、快適に暮らせる街、
その東京にオリムピックが招致されるはずではないだろうか?

「オ、モ、テ、ナ、シ」








The Saturdays - Please Mr. Postman (Official audio)

Diana Krall - Look Of Love (Live In Paris)

ピラミッドの謎

2015年01月26日 | 日記・エッセイ・コラム



ピラミッドで印象的な写真といえば、スフィンクスの前で撮られた集合写真、幕末の遣欧使節のサムライたちの姿だ。
開国を迫られた幕末の特使が欧州へ向かった道中で、彼らは一体何を感じたのであろうか。

早稲田大学の吉村作治先生の書を読んで改めて4千5百年も前にピラミッドが作られたことに驚く。

それにしても知らないことがたくさんある。

積まれた石の大きさはまちまちだということ、同じ大きさではないという。
本来は四角い石の積み重ねの間を埋める化粧石が存在して鏡面のような仕上がりだったこと。
底辺と高さの比率が結果的に円周率になること、それくらい数学が発達していたこと。
ピラミッド建設は、ナイル川の氾濫による農民への救済手段としての公共事業だったこと、などなど。

ピラミッドと似たような遺跡は世界中にある。
ハワイのマラエと言われる祭壇にしても沖縄の海に眠る石積み遺跡も南米の遺跡も、姿形は異なれど古代人の信仰を感じさせる。

ピラミッドが太陽を目指して上空を目指したように太古の遺跡は自然への脅威に敬虔な祈りを捧げている。

吉村先生の話によればピラミッドに関する文化的貢献はナポレオンによるところが大きいという。

今で言えば侵略戦争であったナポレオンのエジプト遠征には150人もの考古学スタッフを同行したという。
そして持ち帰ったエジプトの文化財がルーブルに保管されたことは彼の功績だというわけだ。

国によってピラミッドをはじめエジプトの文化財へのアプローチの仕方が違うという点も興味深い。
当然のようにピラミッドには財宝が隠されていると解釈する仏国等々、お国事情がある。

ピラミッドは王の墓だとするこれまでの定説が覆される諸説も興味深い。

吉村先生隊は、以前現地で実際に小さなピラミッドを作ってみて、どのように建設したかを検証しようとした。
奈良の大仏製作同様、石材牽引のための「スロープを利用したこと」は間違いない。
が、60トンもある石材を人力で引き上げるにはスロープの角度と牽引するための工夫、なめらかに牽引することと後退させないための工夫など叡智が必要だ。

またピラミッド内部は、思いの外「空間部分が多い」という。
一説によれば40%とも言われる空間の設定は、強度を出すためと石材の節約のほか、映像の「牽引用トンネル」説も有力に思えてくる。

しかし5千年前の太古、民を救うために公共事業を企画した王と、製作を指揮したナンバー2には頭が下がる。
5千年も経った今も公共事業という同じ手法が採用されているのだから。

ただ民を救うためでなく票を集めるためだとしたらクフ王は笑っているだろう。

「クフッ」 





【吉村 作治】 ピラミッドの謎の「ウソ」と「ホント」

エジプト発掘  ピラミッドはこうして造られた

ギャロッピングの夢

2015年01月24日 | ギター・レッスン



LPレコードを探し求めるのは楽しい。
30センチ四方のアルバム・ジャケットを見るだけで心が休まるような気がする。

神田の中古レコード店に並ぶ「LPレコード」を、これと言った目的なしに見てまわる。
もちろんジャンル分けされたコーナーを見て廻るのだが「お色気ジャケット」なんていうコーナーもある。

ムード・ミュージックとかイージー・リスニングといったインストルメンタルものに、白人女性のヌードに近い写真のジャケット。
「ジャケ買い」とはここから発信された言葉なのかしら、これに惑わされて買ってしまう素直な男性諸君は古今東西絶えない。

「ハワイもの」などトロピカルもののアルバムを探すのは案外わかりやすい。
海や空、レインボウなど彩度の高い色調を引っ張りあげれば当たる確率が高いからだ。

収録曲目を確認するのも、CDの大きさではほとんど視認できないが、LPなら瞬時にできる。
同じアーチストの似たようなアルバムに、内容が同じだったり曲が重複していないかなど逡巡する。
それでも同じものを買ってしまう失敗を犯すマニアは多いだろう。

ギターの「チェット・アトキンス」ものは、今でも相当数在庫が置かれている。
ほとんどがインストルメンタルで、ゲストミュージシャンとのコラボアルバムも多い。

彼が「ハワイアン・スラック・キー」を取り上げていることは早くから知っていたが、実際に聴くまで随分時間がかかったものだ。

そんなレジェンドが日本の曲ばかりを取り上げたアルバムがあったので試聴させていただいた。
「浜辺の歌」など、オーケストラや波の音をバックにチェットのギャロッピング奏法で弾かれた日本の歌曲は興味深い。

海外のアーチストが日本の歌曲を演奏するのは、日本人とは異なる解釈やアレンジをするので興味深い。
ハワイのスラック・キー・ギタリスト「Ozzie Kotani」と「Steve Sano」の二人が、レコーディングしたアルバム「思い出」は正にその代表格だ。

二人とも日系人のはずだが、曲の仕上がりが、我々日本に住む日本人の感性とは異なる。
おそらくご本人たちは意識しないうちに「異国情緒溢れる味付けがなされている」から面白いのだろう。

さてチェットがハワイのスラック・キーを弾く事になった経緯はわからない。
が、ここでも結果的に「異国情緒の味付けがなされている」ことに気づく。

「ギャロッピング奏法」は世界中に知れ渡った。
そして英国から達人がやってきた。

二人は、「ギター」を弾いて「リズム」を共有すること、音楽で「会話」することの快感を無言のうちに楽しんでいる。

ギャロッピングは日本へやってきて、なお英国から彼を呼び寄せた。
「ギャロッピングの夢」は果てしなく続く。





Chet Atkins "Hawaiin Slack Key"

Mark Knopfler & Chet Atkins - Instrumental Medley

Chet Atkins - Pu, Uana Hulu (Remembering Gabby) Live 1996

Chet Atkins performs "Hawaiian Wedding Song"

Chet Atkins & Leo Kottke "Sleepwalk"