夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

「蕎麦派?」or「うどん派?」

2015年11月18日 | グルメ


「きつねうどん」か「たぬきそば」かで迷うとしてもかなりの確率で蕎麦を選んでしまう
だいたい「麺好き」ならどちらも好んで召し上がるのではないだろうか

高校の頃、母校の近くにあった「藤屋」の「たぬきそば」が忘れられない
醤油のような濃い色のスープにしっかりした麺と丼の表面を覆う「揚げ玉」とネギの存在感、たまに先生と同席したのも懐かしい

上京してから長く住んだ私鉄沿線の街での小さな蕎麦屋さんもよく通った
日中店外の大きなざるに鰹節を並べて干してあったのが印象に残っている、ネギが美味しかった

その蕎麦屋さんの対角にあったのが「讃岐うどん」のお店
ガラス越しのテーブルで麺を打つのを見せるのが売り物だった、透明なスープに歯ごたえのある太めの麺、ここで「讃岐うどん」という存在を認識した

この街で過ごした長い独身時代、2軒のお好み焼き屋さん、小さな洋食屋さん、深夜営業していた居酒屋さん、寿司屋さん、おにぎりが美味しかった飲み屋さん、映画のカメラマン夫妻が経営していた飲み屋さん、そして定食屋さん
当時自分と同年代の方が始めた定食屋さんに「行ってみたいなあ」と思ってウェブを検索したら、残念ながら数年前に閉店していた

玉ねぎとピーマンの入ったウィンナー炒めやら焼き魚の定食でお世話になったこのお店、幼児を背中におぶった奥様と二人で経営していた
閉店を惜しむ私のような田舎から来ていたファンが集い、なんでも出身地の茨城に引っ込んでご子息がお店を開店したという

さてそんな街の近くで営業したこともあった蕎麦の名店「達磨」の文庫本を読んだ
ほとんど禅宗に近いような研鑽の日々を読んでいると軽々しく注文できないなと思う

そのご主人の蕎麦を打つ姿を偶然日本橋の百貨店でお見かけした
全身サポーターで補強しているように見える姿は近寄りがたく道を究めることの荘厳さを感じさせられた

茨城に広大な農地を持つF君に「蕎麦を育てたら?」と誘ったのもこの本がきっかけだった
後で聞いたら40坪ほど蕎麦の栽培に挑戦したというではないか、しかし残念ながらカラスの被害にあって栽培を断念したという

栽培は諦めたが、蕎麦を打つことに情熱を傾けて振舞ってくれた
広い農家の一角でいただいた蕎麦の味も忘れられない

丸の内にあった赤坂更科の白い蕎麦も好きだった
蕎麦もラーメンも細くてコシがなくてはいけないというのがせめてもの私のこだわり

出雲蕎麦の「割子(わりご)蕎麦」も好きだ
丸い漆器の中に蕎麦が収められかつお節や大根おろしなど具が載せられ、そこにそばつゆをかけて頂く

『割子(わりご)」とは重箱のことを指すようで、お弁当を持って野外に出かける趣味人が始めたようだ
四角い重箱は隅っこが洗いにくいことから丸くなったという

私が育った郷里はもっぱら麦が栽培され蕎麦の文化圏ではなかったように思う
「うどん屋」という屋号の「うどん製造直売処(兼)食品雑貨店」があったくらい「うどん」の方が一般的であった

ベルトの回る機械で大量の「うどん粉」を練り製麺する、機械から流れ落ちる麺を包丁で切る
五右衛門風呂のような大釜で麺を茹でては一かたまりにして木箱に並べる、持ってきた鍋にうどんを入れてもらい5円か10円のお代を払う、そんな時代だった

新宿のそば屋さんで旬の頃だけ「牡蠣」を入れたメニューがあった
温かい蕎麦に大ぶりの牡蠣は贅沢の極み、結局自分は具の方に目がいってしまうただの食いしん坊なのかもしれない

嗚呼、藤屋のたぬきそば、よ

高橋名人 そは?打ち


手打そば・蕎麦料理 京都有喜屋 国の現代の名工 三嶋吉晴(店主)





好きなB級グルメは?

2015年10月04日 | グルメ


「好きなB級グルメ」といえば、子どもの頃五円硬貨を握りしめて買いに行った駄菓子屋で焼かれる「お好み焼き」だ。
物心ついてから各地でいただくそれは、私の味覚の中で(それは違う)という心の叫びが聴こえる。

お好み焼きは広島風が主流となって以来、厚手の生地にざっくり切られたキャベツや焼きそばまで参加する、米国発「ハンバーガー」に対抗するようなレシピが当たり前になった。
それはもはや「B級」ではなく、戦後の貧しい時代に育ったジェネレーションにとっては「高級」の部類にしか思えないのだ。

郷里は、空っ風の吹く平野にあって、収穫時期には木材と竹で組まれた矢倉に大量の大根が干され、それが風物詩だった。
そう、鮮烈な黄色に着色された「沢庵漬」を作るためだ。

戦後、駄菓子屋を経営したのは、留守宅を守る主婦ではなかったろうか。
いや駄菓子を卸売する夫君の経営を支えるアンテナショップとして起業したケースもあったろう。

そんな駄菓子屋の一角に、鉄板を置いたテーブルが用意され子どもたちが取り囲む。
鉄板では、お好み焼きや焼きそばを調理されるプロセスが披露され、固唾を呑むように子どもたちが見守る。

今「遠州焼き」と呼ばれる郷里のお好み焼きは、そんな駄菓子屋で提供される「B級グルメ」だった。
特徴的なのは、クレープのような薄い生地とそれに合わせた具材の切り方、そしてチョイスされる具材の意外性かもしれない。

極端に薄く溶かれた小麦粉で作る生地には卵を入れると色と風味が増す。
入れる具材は、ネギ、紅生姜、タクアンでそれらを1㎜程度に細かく切り刻む、入って干しエビ、豚肉や牛肉が入るとしたらそれはトッピング扱いだ。

鉄板の上に油を引いて、具材を入れた生地を流し込む、
できるだけ薄く、大きく丸く広げる、

やがて生地が乾いてくれば、これをひっくり返す、
ひっくり返した面にウスターソースを刷毛で塗りこんでいく、ソースはウスターでなければいけない

その上に、ダシ粉とアオサをかける
そして円の上下を折りたたみ、長方形に仕上げて、またウスターソースを塗り込み、ダシ粉とアオサを満遍なくかける

これを食べやすい巾に切れ込みを入れて出来上がり、
持ち帰る場合は、これを経木にのて新聞紙で包む、この経木と新聞紙の香りも味のうち、だ

東京生まれの妻からは、なぜタクアンなのか、キャベツが入らないのか、生地が薄すぎる、ウスターでないといけないのか、と詰問される、
都度、ソースはウスターでなければいけないし、タクアンも、紅生姜も、ネギも、味と彩りの両面から必須であることを主張する。

この具材のチョイスと極端に薄く作る生地は、B級であることの最たる必然ではないだろうか、
地場で簡単に手に入る食材を使い、小麦粉の消費を抑え、ウスターソースの味わいを楽しむこと、そしてダシ粉とアオサがそのとどめを刺す、

思えば加熱によって乾いたウスターの食味は、せんべいにおける醤油の役割と同じだ、
庭や畑で採れるトウモロコシ、枝豆、そら豆、ジャガイモ、里芋などの野菜をおやつ代わりに食したあの時代、お好み焼きは絶品グルメだった、

好きというレベルを超えていたあの時代に、少しばかり戻ってみたい気もする



















ふきのとう

2015年03月10日 | グルメ




雪の間から顔を出す「ふきのとう」
春の訪れと大地の息吹を感じて嬉しい。

冬眠から目覚めたクマが最初に食べるのが「ふきのとう」だとか。
強い蕗の香りと苦味が長い冬を過ごしてきた体の目覚めにきっと良いのだろう。

レシピを探して「蕗味噌」を作ってみたらこれが実に美味だった。

味噌に砂糖、みりんを合わせた調味料を用意しておく。
ふきのとうを水洗いしてあく抜きのためしばし水に浸けておく。
熱したフライパンにザクザクと切ったふきのとうを入れてサラダ油で炒める。
しんなりしたら調味料を入れてごま油を少々かける。

これが私のレシピで、湯がいたりしない「苦味優先」方式だ。
甘い味噌とふきのとうの苦味のコントラストが温かいご飯に実に合う。

市販されているような丸い「ふきのとう」はほんの一時しか採集できない。
あっと言う間に「つくしんぼう」状になってしまうのでザクザクと切ってもれなく使う。
プロが披露しているホールスタイルのレシピも良さそうだ。

「わさびの茎」や「わさびの花」も三杯酢に漬けると珍味だ。
やってみてわかったのは「辛味」を出すことがポイントだということ。
科学的な根拠はわからないが、「いじめること」だそうな。

漫然と作ると辛くない「わさびの茎漬」になってしまう。
下処理をした後で袋か容器に入れてひたすら「振る」
振ってわさびを痛めつけると辛味が増すのだそうな。

こうした手作り珍味の面白さは、出来不出来があること。
目分量で作る味付けが成功するときもあれば、偏ってしまうこともある。
それでいいのだ、素人のいたずらは。

レシピを見ないで作れるようになった時、本物に近づくのだろう。
食の道も、音楽も同じだ。

まだスーパーに「ふきのとう」が出ている。
飲んべえ諸君よ、一度お試しあれ。




ふきのとう味噌作り

山菜「ハワサビ」

第79回 多摩探検隊 「奥多摩のわさび職人」

スイカの空中栽培