夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

お好み焼き

2016年04月28日 | 日記・エッセイ・コラム


長かった一人暮らし時代、定食屋さんはもちろんの事、ランチや夜食でお世話になったお店が懐かしい
毎日のように出汁に使ったカツオ節をざるで干していたそば屋さん、対角にあった手打ち讃岐うどんの頑固親父

映画カメラマンだった方の経営していた居酒屋も随分お世話になった
友人の実家の目の前にあった洋食屋さん「PONY」も懐かしい

鉄板を並べたお好み焼きやさんの提供するランチもご飯が美味しくて感心した
夜食でお世話になったお好み焼きやさんの経営者が東大卒と聞いて驚いた

上京してお好み焼きがビジネスとして展開されるようになったのは、広島風の分厚いお好み焼きだったような氣がする
キャベツが入って真ん中に卵を落としたり、間に焼きそばが挟まれたりと田舎者の常識は覆された

味覚の感覚は18歳くらいまでに形成されるという話を聞いたことがある
子供の頃食した味が忘れられないのはそれだけ多感な時期にインパクトが大きかったということになる

郷里の駄菓子屋の店先、いや傍の鉄板で提供されたお好み焼きは非常にローカルでチープなB級グルメだった
おそらく戦後の物資の乏しい時代に、日銭を稼ぐために考案されたレシピであったと思われる

郷里は大根が採れるので沢庵漬けは、個人宅でも行われるほど身近な食材だ
紅生姜も同様安価な食材だし、ネギは畑に行けば売るほどあったのだろう

つまり郷里のお好み焼きは、沢庵と紅生姜、ネギが入っていて、そこにキャベツは入らない
そして小麦粉は限りなく薄く溶いて、クレープに近い薄さのお好み焼きを実現する

そこにウスターソースを塗って、アオサとダシ粉をかける
折り曲げてカットしてさらにソースとアオサ、ダシ粉をまぶして経木に包む

これが「遠州焼き」と称される郷里のお好み焼き
薄く焼きあがった生地の中に、細かく切られた紅生姜、沢庵、ネギの存在を確認しつつ、ソースとアオサ、ダシ粉の味を楽しむ

私の通ったお店の焼きそばも、麺と具材をを鉄板で炒めるのだが、ソースは取り分けた皿の上でかけられた
ソースを絡めて炒める式ではないので、さっぱりした味を楽しめるのだが、単に鉄板の寿命を伸ばすための配慮だったかもしれない

B級グルメと言ってしまえばそれまでだが、こうした味を提供するお店が少ないのは寂しい
万人の支持を受けられなくとも、郷土を愛する人の味覚を楽しませてくれるお好み焼き

伝統をつなぐお店が欲しいものだ






Hapa performs Anjuli (from PBS special)

山のロザリオ

2016年04月24日 | 音楽


本稿にちょくちょく登場するT君は郷里の高校の軽音楽部仲間
まさに「青春デンデケデケデケ」を共に体験してきた世代で、彼はドラムスを担当した

シャドウズ、ベンチャーズ、ビートルズの出現で世の若者はエレキギターの虜になった
グヤトーン、テスコ、などのエレキギターが欲しくてたまらない高嶺の花だった

箱にネットを張ってスピーカーを取り付けた簡単な「アンプ」との安価なセットでも買える高校生は少なかったと思う
ましてやドラムセットなど第一叩く場所がなかったが、畳敷きの和室で無理やり叩いていた友人たちもいた

当時の高校の軽音楽部の部室は楽器置き場を兼ねた一室をクラシックギター、スイングジャズ、ハワイアン、ブラスバンドなどが共有していた
既存のジャンルから新規に「エレキバンド」と「P.P.M」などに感化されてできた「フォークグループ」が誕生した

大音量で演奏するエレキバンドの練習場所は部室の中にあった小さな防音室だった
ここにリードギターのY君、サイドギターのF君、ベースギターのF君、ドラムスのT君が詰め合わせて練習する

定時制の皆さんの授業が始まるであろう夕闇の迫る頃、いつまでも練習を続ける彼らと階下の教頭先生との確執が始まる
「いい加減にしろ」「はーい」と言ったかどうか知らないが、この進学校の教頭先生の最後通告は電気を落としてしまうことだった

「プシューッ!」てな感じで音が消えて、真っ暗闇の中、不承不承エレキバンドの面々が退散する
傍目で見ていてこれは滑稽であったが、権力に立ち向かう「Rock」と「Folk」の発露であり、やがて学生運動へと発展していく曙でもあった

ビートルズやブルーコメッツなどのヒット曲を演奏する彼らは、当時の在校生の憧れの的だった
譜面や教則本など今ほど普及していなかったあの頃、「耳コピ」で楽曲をマスターしていたY君には恐れ入った

ギターコード(和音)の押さえ方しか知らない高校生が耳に聴こえる音を頼りに奏法をマスターしたのだからその集中力たるや恐ろしい
寺内タケシやノーキー・エドワーズをコピーしたかと思えばチェット・アトキンスやらジョン・レノンの音楽性の高さにまで言及したY君には随分影響を受けた

練習場所にしていた木造校舎からの帰りみち、ポロンポロンとギターを弾きながら交わすそんな音楽への思い
異性への憧れのように未知の世界へと少年たちは夢を追い続ける

当時部長を務めていた幼馴染のO先輩から入れと言われたのがハワイアンバンド
スティール・ギター、ウッド・ベース、ピック・ギター、ウクレレで編成されるスタイルで、もちろん歌も歌う

当時800円くらいで買えたウクレレからスタートした私はものの数ヶ月でベースを担当することになった
細面のO君が「軽音」を辞めることになったからだ、「なんで辞めるの?」「勉強する」「ふーん」

そしてS先輩の登場、「おいベースを教えてやる」「はい」「いいか、Cはこうだ、ド、ミ、ソ、 な、、、」
「よし今度はフォークダンスを教えてやろう」「は、はい」「いいか、山のロザリオはいいぞ、」「はあ」「一人の女の子とずーっと踊れるんだぞ、どうだ、驚いたか!」「凄いです!¥〓△●」

かくしてサンダルを履いたK高生二人は、誰もいない木造校舎で手を取り合ってフォークダンスのレクチュアを続けるのであった、嗚呼青春
そして私はめでたくもフォークダンス指導員を推挙されて昼休みの屋上でのフォークダンスで宝くじを買うような確率を経験することになる

そんな高校時代のF君、もう一人のF君、T君、顔の大きいO君たちと音楽ができるようだ
楽しかったあの頃、涙が出てくるかもしれない、楽しかった、ありがとう、みんな、いつまでも続けよう音楽を












Jim Keltner At Guitar Center

Jim Keltner talks DW, At Guitar Center

Paiste 19" Signature Dark Energy Mark I Crash Cymbal - Jim Keltner - 1699g (4801419-1101315E)





忘れた頃に

2016年04月19日 | 日記・エッセイ・コラム


天災は忘れた頃にやってくる
しかし忘却というプロセスがなかったら人間は生きて行けない

報道によれば1600年代の古文書に熊本の地震の記述があるという
東北で地震がありその後熊本で地震が、熊本城に被害があって城主の避難先を用意すべしとの記述まであるという

その何十年か後には小田原の地震があったとか、歴史は繰り返すというなら心配になる
連日強震が続く熊本はじめ九州の皆さんの生活が他人事ではない

九州は母方の生地であり縁戚も多く、熊本には音楽でご縁があったNさんが住んでいる
穏やかな天草湾を望む素晴らしい地で心温まる歓待を受けた思い出がある

火山の麓に住み温泉を愛し伏流水を珍重し海の恵みを受けて生活する我々は、地震と向き合って生きてゆかねばならない
科学がいくら発展したとしても大自然の脅威の下に人間は無力だ

またこうした被害を見ると日本の経済力というのか豊かさはまだまだ満足できるレベルでないと感じる
木と瓦でできた家がぺしゃんこになって人命が失われる、土砂を人力ですくい上げて救助に当たる

天災だから仕方ないとばかりでは片付けられない被害状況が連日報道される
余震が続くため家の中で過ごすことができず野外で生活することを強いられそこに雨が降る

関東では突風が吹いて色々な物が散乱した
風が吹いただけで倒れたりしたものを対処しなければならないのに、地震が毎日起きている九州地方は、、

こういう時「神に祈る」ということが素直に理解出来る
天地の平穏を祈る







Sugar Sweet | Grandpa Elliott | Playing For Change

Time Tough | Live Outside | Playing For Change






ハワイアン・ララバイ

2016年04月13日 | 音楽


マーク・ノップラーの映像タイトルに「Hawaiian Lullaby」とあった
サンデイ・マノアのあの佳曲を演奏しているのかしらん、と思いきやそうではなかった

どうやらコンサートの終演後、会場で流す「ハワイアン・ムードでお休みなさい」ということらしい
彼自身が弾いているのか、ハワイアン・ナンバーをラップスティールで演奏してお帰りをご案内しているようだ

ギタリスト、シンガー、ライターとして素晴らしい彼が、チェット・アトキンスと和かにプレーしている「I'll see you in my dream」がいい
音楽を通じて理解し合っているミュージシャンが手に入れられる至福の時間だからだ

彼の音楽性を評価しているいわばファンの一人だが、その実一枚もアルバムを持っていない
そういえば大好きなビートルズもコンパクトLP一枚しか持っていないのは、そもそもお金がなかったからだが、買わなくともメディアが連日流してくれたからでもある

それを見かねてかNさんが彼のCDとDVDを持ってきてくださった
英国発の彼のアルバムでは、全体にヨーロッパ臭を感じながら時折カントリータッチの曲が登場するのが嬉しい

そして見つけた「Calling Elvis」
どうやら電話に出なかった自身の経験からヒントを得て創った曲らしい

たまたまエルビスにご縁があって検索していたら「See See Rider」に出会った
マークはこの曲をモチーフにしたらしい

ギターの達人の極意は、「弾かないことと見つけたり」かもしれない
お休みなさい、眠れ悪い子たちよ!







Mark Knopfler - Calling Elvis Live Beaulieu Palace 2002

Mark Knopfler "Hawaiian Lullaby" 1996 Paris [AUDIO ONLY]

Mark Knopfler - Quality Shoe Live Beaulieu Palace 2002


Mark Knopfler "Going Home" , "Hawaiian Lullaby" 1996-06-24 Munich

ノーと言える勇気

2016年04月12日 | 日記・エッセイ・コラム


ウルグアイの元大統領夫妻が来日した
「世界一貧しい大統領」などと見当外れの謳い文句をつけた人が恥ずかしいと思うような爽やかな夫妻だった

「清貧」という言葉もどこかへ追いやられた感の日本、浅草の仲見世の喧騒を不愉快に思ったムヒカさん、宗教は敬虔なもので商魂たくましきものではないとばかり
大阪での通天閣に登ってみないか、銭湯を覗いてみないか、という浅薄な興味本位の誘いにも「ノー」と

ボリビアで散ったチェ・ゲバラに感化されたかどうかわからないが、貧困の中に育って革命のための闘争を続けてきた、銃撃を受け投獄され
共に戦ってきた夫人と所帯を持つも、とても子供を持つことなどできなかったと、闘争の過去を振り返ってか夫人の目に涙が

戦前、戦中、戦後と日本は貧しい時代を経て経済的ゆとりを求めてきた
ゆとりを通り越して今や飽食の日本はアジアの注目のマトであるが、リーダーではない

日本の経済的な繁栄には目もくれず広島の原爆資料には目を奪われていた
お金が欲しい人は政治家でなく商売人をやれと、明快だ

会社に行けばサラリーというお金がもらえると考える人は、さらなるお金を手に入れるために媚びへつらう
お金は必要だが、お金を手に入れることが目的であってはならない、人生という時間をかけて行うことは金儲けだけではない

アマゾンの先住民の暮らしは現代社会の尺度で見れば「貧しい」となるかもしれないが、決して彼らは貧しくなく「豊かな生活」を送っているという
ハワイのニイハウ島の伝統的な生活を守ろうとしてきたロビンソン一族のことを思い出す

民間TV局の招きで来日したというが、面白おかしく料理しようとした思いつき企画の一部は明確に「ノー」とされた
この思慮深く愛情に溢れた老革命家は、どのようにして生まれたのだろうか

対価を求めて働く世界にあって「世のために働く」人は新鮮だ
貧困がそうさせたのか、長い闘争と投獄生活の中で導き出した哲学なのか

スポーツマンの賭博事件など連日不愉快な報道ばかりの中でムヒカさんの特集番組は爽やかだった
日本にこういう政治家がいたら世の中が変わるのに




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