思い立ってシネマコンサートなるものに出かける
スクリーンにあのイタリア映画「ニューシネマパラダイス」が、ステージには東京フィルオーケストラのコントラバスが四台並ぶ
考えてみればサイレントからトーキーへと進化してきた映画は、活動弁士よろしくそもそも音声は「生」だったはず
やがて映像と音声は同期して流れる様になってきて、いつしかスクリーンの大型化とスクリーンミュージックの高音質化に慣れきっていた
近年の映画の音声トラックはどういう構造になっているのだろうか
心配していた映画のセリフや音楽と生演奏との切り分けは実にスムーズに行われていて、注視していないとオーケストラを見失うくらいだった
エンニョ・モリコーネの音楽は楽器の使い方が絶妙だ
ピアノ、コントラバス、ガットギター、バイオリン、管楽器、打楽器などの使い分けが、シンプルで効果的だ
この映画、劇場版と監督エディット版とがあるそうだ
恋人との再会までを描いた初版がヒットせず、回想まで短く再編集した劇場版が大ヒットしたという
「青春デンデケデケデケ」の私家版を出版した著者が、初版は編集されたが本音はこっちだと言っていたのを思い出す
初恋の人に会わないでおくのが美しいのかもしれないが、どんな結末であれ「好きだった」というのが作者の気持ちなのだろう
「海の上のピアニスト」というロマンチックな映画も同じ監督で、エンニョ・モリコーネの音楽だった
波のように繰り返すメロディは、洋上に浮かぶ客船のピアノとドラマを物語っていた
「三丁目の夕日」の音楽も美しい
映画音楽はチャップリンの「スマイル」のように、美しくあって欲しいと思う
登場人物のセリフや説明がなくとも、語りかけるような弦の響きは説得力がある
映画監督となった主人公が一人アルフレードの形見のフィルムを見ながら回想に耽るシーンは、この監督自身の姿なのだろう
社会的成功を手にしたトトが、村に帰ってくるなと言ったアルフレードの死を境に回想する
自分の人生とは何だったのか、30年帰らなかった村で目にした変わらなかったものと変わってしまったもの
人は何かを求めて生きている
Ennio Morricone - Cinema Paradiso (In Concerto - Venezia 10.11.07)
映画「ニュー・シネマ・パラダイス完全オリジナル版」日本版劇場予告