フォークにドラムスはいらないかもしれない
その昔ディランがエレキギターを持ったらピートシーガーが怒り狂ったというエピソードもあった
日本語でフォークを歌うきっかけは英語で歌われるモダンフォークをより身近に伝えるためだったのだろう
元来洋楽の邦訳から始まったのだと思う
その後日本の風土に合わせた日本語の歌詞とメロディによる楽曲、オリジナルが次々と発表された
各地に伝承されてきたフォークだったり、当時の日本の反体制、反戦歌だったり、とてつもなく個人的な思いだったり
マイナーで暗いイメージがつきまとう四畳半フォークみたいな楽曲がヒットした時代もあった
明治以降の日本における洋楽の歴史にはこうした「和」の影響が大きい
よく言えば日本流にカスタマイズされて独自の文化を築き上げた
が、一方で洋楽のセオリや味わいを度外視して日本流のセンチメンタリズムに突き進んだことも否めない
ひょっとするとジョルジュ・ムスタキのような語りかける世界とバンドサウンドで展開できる二つの道があるのか
そうであるなら日本人は語りかけられて反応する方が歴史的にも経験があるのかもしれない
以前ライブスポットで若い人が70年代に発表された日本語によるフォークを歌っていた
ご両親やそれ以上の世代の方が聴いてきた音楽を何のためらいもなく歌っていた
さて若い頃から愛聴してきたミュージシャンの映像を見ていたらベースもドラムスもいい仕事をしている
オリジナルであるからしてどう加工しようがご本人の勝手なのだが、中にはドラムスを入れることを拒否するファンの方もいるようだ
しかしオリジナルであるから「ノリ」はなくてもいいかというと、そうはゆかぬ
バンドサウンドに乗れるミュージシャンであって欲しいし楽曲であって欲しい
ベースもドラムスもシンプルなコード進行の繰り返しであったとしてもノリノリであって欲しい
好き嫌いはあるとしてノリノリで楽しそうに演奏する場面は何回見ても幸せな気持ちにさせてくれる
バックバンドのメンバーたちのにこやかな顔をご覧あれ
イメージの詩 by 吉田拓郎
黄昏に乾杯 / 吉田拓郎
永遠の嘘をついてくれ 吉田拓郎70歳 中島みゆき64歳 つま恋2006年9月23日土曜日秋分の日
吉田拓郎 M11 ♪今日までそして明日から @ つま恋 2006【HD】