一度ならず聴いているCDに収められた楽曲を改めて認識することがある
「へーっ!こんなアレンジだったのか、」と
アレンジを変えるだけで楽曲のイメージはガラリと変わる
そこがアレンジャーの腕のみせどころであり、ジマンだ
そしてアレンジを変えるついでにメロディも少しばかり変えて歌うケースもある
そこまでしなくともと思ってみたり、いやこれでなくてはいけないアレンジなのだと言い聞かせてみたり
ギャビィ・パヒヌイの子息、ブラはそうしたアレンジャーとしての才に長けている
右利き用に作られたギターをひっくり返してそのままのチューニングで器用に弾く
コードの押さえ方は逆になるし、低音弦が下方に位置してダウン・ストロークがアップに変わる
サウスポーの人は器用だ
左利き用のギターも製作、販売されているが、おそらく一般に流通している右利き用のギターをそのまま左で弾く方が面倒がないのだろう
ライ・クーダーが参加した「Pahinui Brothers」アルバムで見せたアレンジャー、ボーカリストとしての存在感は大きい
ライのドジャース・スタジアム楽曲で、ブラを起用しているのは納得がいく
「歌心がある」などという世俗的な表現をしたら失礼にあたるかもしれない
が、楽曲を咀嚼して「新たな感覚、解釈を歌で表現する」ことはそう簡単ではない
もう一人の子息、シリル(セロ)のアレンジも意表をつかれることがある
「そうきたか」という感じだ
風貌や声が親父さんにそっくりだが、同じではないという主張がチューニングや奏法に現れているように
彼独自のアレンジが気になるところ
つまりそれがサウンドであり個性だ
誰しも自分らしさを探す旅に出てなかなか到達できない
人生とは、重き荷を背負うて、、、
親を超えることのハードルの高いことよ
苦労して育ててくれたことに感謝、、
"Brothers Pahinui" 1993 Kihoalu Slack Key Festival - "Hiilawe"
Haunani Apoliona Kihoalu festival 1993
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