じっとしていても汗が出てくるくらいの、今年一番の暑さとなった定休日の本日、予定していた東海テレビの取材がありました。
今回は本業の方ではなく、私達祭バカがお手伝いしている『みたま祭り』に関する取材で、たまたま東海テレビ番組制作部のチームマネージャー
の目に当店のブログ記事が留まり、今回の取材となりました。

撮影現場となったのは、現在は名古屋大学太陽地球環境研究所豊川分室の敷地内にある、豊川海軍工廠跡地。


何故そんなところでというと、そもそも『みたま祭り』の起源が、昭和20年に豊川海軍工廠が爆撃され、多くの尊い命が失われ、
その後戦没者の冥福を祈り、祖先の霊を慰めるための供養が行われるようになったのを機会に、豊川連区が主催し、豊川閣妙厳寺が協賛して
『みたま祭り』が盛大に行われるようになったという事で、舞台となった海軍工廠跡地での取材となりました。




今回の撮影はその舞台となった海軍工廠跡地で行われたんですが、悪ガキだった小さな頃、秘密基地の探検くらいの軽い気持ちで無断侵入した時の、
曖昧な記憶が施設を見学してるうちにおぼろげですがだんだんと甦って来ました。



本日は今年一番の暑さだったにもかかわらず、現地に残る戦争のつめ跡を目の当たりにすると撮影中、不思議と暑さなど微塵も感じませんでした。
今は当たり前のように毎日を平和に過ごすことができていますが、ほんの数十年前には同じ豊川の地で何千人もの命が一瞬で亡くなってしまうという
悲惨な出来事があったんですよね。

毎年多くの市民が楽しみにしている『みたま祭り』ですが単にイベントとしての盆踊りになってしまわぬよう、こうした事実があったことも
『みたま祭り』をお手伝いしている私達がしっかり後世に伝えていかなければなりませんよね。

撮影は祭本番までまだ数回に分けて行われるそうで、当日まで私達も撮影に協力させて頂きます。
今回は本業の方ではなく、私達祭バカがお手伝いしている『みたま祭り』に関する取材で、たまたま東海テレビ番組制作部のチームマネージャー
の目に当店のブログ記事が留まり、今回の取材となりました。

撮影現場となったのは、現在は名古屋大学太陽地球環境研究所豊川分室の敷地内にある、豊川海軍工廠跡地。


何故そんなところでというと、そもそも『みたま祭り』の起源が、昭和20年に豊川海軍工廠が爆撃され、多くの尊い命が失われ、
その後戦没者の冥福を祈り、祖先の霊を慰めるための供養が行われるようになったのを機会に、豊川連区が主催し、豊川閣妙厳寺が協賛して
『みたま祭り』が盛大に行われるようになったという事で、舞台となった海軍工廠跡地での取材となりました。




今回の撮影はその舞台となった海軍工廠跡地で行われたんですが、悪ガキだった小さな頃、秘密基地の探検くらいの軽い気持ちで無断侵入した時の、
曖昧な記憶が施設を見学してるうちにおぼろげですがだんだんと甦って来ました。



本日は今年一番の暑さだったにもかかわらず、現地に残る戦争のつめ跡を目の当たりにすると撮影中、不思議と暑さなど微塵も感じませんでした。
今は当たり前のように毎日を平和に過ごすことができていますが、ほんの数十年前には同じ豊川の地で何千人もの命が一瞬で亡くなってしまうという
悲惨な出来事があったんですよね。

毎年多くの市民が楽しみにしている『みたま祭り』ですが単にイベントとしての盆踊りになってしまわぬよう、こうした事実があったことも
『みたま祭り』をお手伝いしている私達がしっかり後世に伝えていかなければなりませんよね。

撮影は祭本番までまだ数回に分けて行われるそうで、当日まで私達も撮影に協力させて頂きます。